礼拝

4月4日(日)礼拝

週報

説  教  題  「貧しさが溢れ出して豊かさとなる」 
聖書個所  コリントの信徒への手紙Ⅱ8章1節から9節まで
讃  美  歌    153(54年版)

イースターおめでとうございます。一年前は、このイースターの礼拝から、家庭礼拝推奨となってしまいましたから、今日お集まりの多くの方にとっては、一年ぶりの挨拶となります。もう一度、申し上げます。主のご復活を記念するイースターおめでとうございます。

 けれども、今年のイースターも、特に、この日を意識して、特別な聖書箇所を選ぶということをしませんでした。与えられた第Ⅱコリント書の御言葉を、順番通りに読み続けることにしました。特に新約聖書の言葉は、どこを切り取っても、ご復活の主を覚え、祝う思いの外で、語られている言葉はどこにもないと思うからです。新約のどの文章、どの言葉も、イースターの出来事が実を結んだ言葉であると言って良いと思うからです。今日司式者に読んで頂いた御言葉も同じです。

 少し前にもお話ししましたが、第8章は、それまでの所とは違った話が始まることです。第8章は、前後とは独立した一通の手紙であったろうと考えられているものです。順番的には、先週、先々週お聞きした部分の後に送られた手紙、だから、コリント教会とパウロの仲直りが成った後に、送られた手紙と考えられています。もはや、ここでは、和解の様子を振り返ることもなく、全く新しい話題が取り上げられています。それは、エルサレム教会への援助金についてです。

 エルサレム教会というのは、世界最初のキリスト教会のことです。使徒ペトロや、主の兄弟ヤコブが導いている、ユダヤ人キリスト者たちの群れです。少し想像力を働かせていただければ、わかることと思いますが、エルサレム教会には、独特の困難がありました。それは、伝統的なユダヤ教社会であるエルサレムという宗教都市の中にあって、その伝統的な信仰の群れの中には、収まらないと判断され、異端的人々として、周りの社会から浮き上がってしまったキリスト教会であったのです。もちろん、異邦人教会も同じようなレッテルを貼られがちな、新しい群れだと見られてはいましたが、同じ民族、同じ言葉、同じ信仰を守っていこうとがっちりとスクラムを組んで、生きているユダヤ人社会にあっては、より、異質な人々として際立ち、強い批判の対象となっていました。使徒言行録などを読みますと、そもそもなぜ、ユダヤ人のユダヤ社会の中に始まったキリスト教会が、そこから飛び出して、一民族の信仰の分派から、あらゆる人種に広がる信仰となったかと言えば、主流派から迫害されたからです。ステファノという人の殉教をきっかけとした迫害のゆえに、エルサレムに留まることができなくなった人々が散らされた先で、主の福音を宣教し、神がそこに私たち異邦人をメンバーとする教会を建ててくださったのです。

 そのことを思うと、そのような圧迫の元にも、エルサレムに留まり続けた人々がどんなに生きづらい生活を強いられたかということについては、想像に難くありません。パウロという人は、3回にわたって、地中海世界を巡り歩く大伝道旅行を行っていますが、聖書の後ろにある地図を見てみますと、第2次伝道旅行、第3次伝道旅行の際に、必ずエルサレムに立ち寄っていることが窺えます。いったい何をしに行くのかと言えば、地域社会から白眼視され、生活しづらくなっているエルサレム教会の人々に、援助金を届けるためです。パウロたち異邦人キリスト者たちは、住むところ、いつも集まる場所は違えども、エルサレム教会の人々のことを、主にある兄弟姉妹として、一つキリストの体として、助け続けることを大切にいたしました。私たちが読んでいるこの第Ⅱコリント書の第8章と、続く第9章は、それぞれ別の二通の手紙であると考えられていますが、しかし、そのどちらも、このエルサレム教会を支えるための援助金を巡っての手紙です。そのような手紙が、何通も送られたという事実は、パウロが、この業をどんなに大切にしていたかを物語る証拠であると思います。

 こういうところを読むことによって、私たちも、ただ金沢元町教会だけで、一つのキリストの体であると思わないようにしたいと思わされます。隣の群れが傷んでいるならば、一つキリストの体を形作る私たちの体の部分として、重荷を負いあいたいと思います。喜びも悲しみも共に分かち合いたいと思います。その折々に、支え合うべき重点的な破れ口となっている教会というのは、日本に限らず、世界的な視野に立って、注意深く、気にしていく必要があると思います。しかし、さしあたっては、石川地区の教会との交わり、北陸連合長老会の教会との交わりを通して、その具体的な姿が思い浮かぶ、いくつかの教会との繋がりの中で、一つキリストの体なる教会として成長し、歩んで行くのだという志を新たにしていきたいと思います。

 さて、今日与えられました御言葉は、具体的には、エルサレム教会を支える援助金をめぐるパウロの言葉でありますが、しかし、そのような一つの特定の施しを巡っての勧めの言葉であることを越えて、キリスト教会の、キリスト者の活動の全般に渡って、その有り様を指し示している言葉ではないかと思わされます。そしてそれはパウロ自身が、これまでもずっと弁えていたことを、改めてコリント教会に教えるているようなことではなくて、つい最近目の当たりにしたことを通して、驚かされ、考えを改めさせられ、人間を導く神の御業に心打たれながら、パウロが興奮して語っている言葉ではないかと思います。そのキリスト者の作る生活の有り様について、パウロが最近、目の当たりにして驚きながら語っている出来事というのは、1-5節に記されたマケドニアの諸教会で起きた出来事です。

 マケドニアの諸教会は、コリント教会からほど近い教会です。私たちが名前を知っている教会では、テサロニケ教会や、フィリピ教会が含まれています。パウロは、まだコリント教会との和解に至る前、涙ながらの手紙を教会に書き送りながら、いてもたってもいられなくなり、コリントのあるアカイア州に接するマケドニア州まで来てしまいました。しかし、そこから自分はコリントに行くことをせず、テトスを送り出して、自分は、マケドニアに滞在し続けました。しかし、そこで何もせずにテトスの帰りを待っていたわけではないようです。おそらく、マケドニア州の諸教会を巡り歩きながら、イエス・キリストの福音を語り、信徒たちの信仰を励ます働きを続けたのです。

 今日の2節を読みますと、マケドニア州の諸教会は、「苦しみによる激しい試練を受けていた」のです。それが具体的になんであるのかはよくわかりません。けれども、単なる心の不安というような言葉で括れるような苦しみ、試練ではなかったようです。2節の続くところには、「極度の貧しさ」と書いてあります。しかも、その極度の貧しさは、あふれ出るような極度の貧しさであると言います。溢れるような豊かさという表現は、私たちにもよく理解できることだと思います。けれども、極度の貧しさが溢れ出しているというような表現は、聞いたことのない言葉です。どんな貧しさだろうかと思います。極度の貧しさが溢れ出しているというのですから、ボロは着てても心は錦というような状況ではないでしょう。貧乏だけれども、皆、若々しくて健康的だということでもないでしょう。貧しいけれども、地域社会とはうまく行っているとか、教会内にも問題はないということでもないでしょう。極度の貧しさが溢れ出しているというのですから、あらゆる面において、そのどの一つをとっても、倒れ伏してしまっても仕方のないような、困難な状況に陥っていたマケドニアの諸教会であったということでしょう。それはエルサレム教会にも勝るとも劣らないような極度の貧しさであったでしょう。

 ところが、コリント教会との和解を何よりも願ってこの地に滞在していたパウロが、機会を無駄にしないようにと足を伸ばして、困難な状況下に置かれているマケドニア州の諸教会に、福音の励ましを語り伝えるために巡り歩いたその交わりにおいて、驚くべきことを経験するのです。すなわち極度の貧しさが溢れ出しているようなマケドニアの諸教会には、喜びもまた溢れ出していることを発見するのです。具体的には、主の教会として、キリストの者として福音に生かされているその喜びが、あらゆる面における途方もない困難な状況にも関わらず、エルサレム教会への豊かな援助金という形になってマケドニアの諸教会から捧げられるという出来事が起きたのです。パウロはこのことを自分の期待以上のことであったと言います。そもそも、4節を読みますと、このマケドニアの諸教会において、エルサレム教会への援助金を募る提案は、パウロが言い出したことではなかったようです。「聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願いでた」とあるので、パウロとしてはそれほど熱心ではなかった。施しが必要なのは、エルサレム教会ではなくて、むしろ、あなた方の方ではないかという状況であったのだと思います。だからこそ、極度の貧しさが溢れ出して、人に施す豊かさとなったなどという、私たちが今まで耳にしたことのないような不思議な表現になったのだと思います。

 パウロは驚きました。心を打たれました。3節冒頭の「わたしは証しますが」という言葉は、本当に、パウロの証のような言葉であるのだと思います。これから語る言葉は冷静な教師の言葉ではない。施しの心得、献金の心得について記した教科書的な言葉ではない。それは、まさに「証の言葉」、神の恵みの出来事を目の当たりにした者として、語っている証言の言葉です。パウロは勧めなかったのです。人に構っているような状況、施しをしたり、奉仕をしたりするような状況には見えなかったのです。無理はしないようにと忠告さえしたのかもしれません。けれども、パウロの忠告を振り切ってさえして、マケドニアの諸教会の方からしきりに願って、この主にある兄弟姉妹のための奉仕の業をしたいと申し出、そこで差し出されたものは、5節、パウロたちが予想していたもの以上のものが捧げられたのです。そして自分たちの力以上に献げたとパウロを驚かせているマケドニアの諸教会の献げもののことを、パウロは、5節の続きですが、「神の御心に沿って」、「自分自身を献げた」献身の行為だと名づけるのです。

 伝道者であり、指導者であるパウロ自身の目が、むしろ、マケドニアの諸教会の姿を通して、もう一度新しく開かれ直したのだと思います。パウロ自身が悔い改め、心を神の方にもう一度向け直したのだと思います。自分は今まで貧しい自分を、そのまま神にお捧げするほかないのだと言ってきたかもしれない。弱いときにこそ強いのだと教え続けてきたかもしれない。パウロたち今までも、伝道者だけが献身者なのではなく、皆が頭の先から足の爪の先まで神の所有となりきった存在だと語ってきたかもしれないけれども、マケドニアの諸教会によって、その意味をもう一度、新しく教えられた。私たちの信仰は、生活の冠のようなものではない。あれも整い、これも整い、すべてが整った上で、それでもまだ埋めることのできないむなしい心の隙間を埋めるために、最後に生活の上に、ちょこんと載せる冠のようなものではないのだ。あるいは、状況が整うまで、教会が成長するまで、奉仕ができないというのでもない。極度の貧しさが溢れ出している者を受け入れ喜びを溢れ出させてくださる神への感謝の溢れとして、自分自身を丸ごと献げるように、破れている私、貧しい私を、神のため、隣人のために、差し出すことなんだ。

 私たちは、施しとか、奉仕というものは、豊かさが溢れ出して、その溢れた分、余った分を、差し出すことだと考えることがあるかもしれません。だから、余裕がなくなれば、差し出すこともやめて良いと考えているかもしれません。パウロもどこかでそう常識的に考えていた。無理はすべきではないと思っていた。でも、彼自身が語り続けてきた福音は違うのです。貧しく弱い者を選ばれる神、弱さの他に誇る者、差し出すものがないという者をあえて選んでくださる神の福音が、私たち人間の現実となるのだと語ってきたのです。その福音が、事実、日常生活で私たちを巻き込んだ出来事となるときも、それは力ある者が溢れてこぼれ出たものを差し出すことではないのです。あらゆる面における貧しさに悩み続ける者をこそ、幸いであると宣言することによって生まれる、神のくださる喜びに背中を押されて、自分自身を貧しいままにまるごと献げてしまうことなのです。それが福音に生きている者の姿、神との和解に生きている者たちの驚きの姿なのです。自分が託され語った福音が、実際その通りに、人間の生き方を作り替えたことを見て、パウロ自身が驚いたのだと思います。思い直したのだと思います。

 だから、既に、テトスを通して、エルサレム教会への援助金を募り出しているコリント教会に向かって、もう一度パウロ自身が打たれた福音の作り出す人間の姿、福音に突き動かされた人間の業の姿を、証し勧めるのです。7節、「あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。」信仰、言葉、知識、熱心、パウロたちから受ける愛、これらコリント教会に豊かに溢れている賜物は、生まれながらのものではなくて、神の賜物です。気落ちしている者を慰めてくださる神の賜物です。そこから極度の貧しさと両立できる喜びが満ち溢れてきます。私たちは貧しい者です。主イエスがお教えくださった言葉によれば、その霊まで貧しいのです。私たちはその存在の根源から貧しいのです。神の御前に、それだから本当は隣人に対しても、極度に貧しい人間なのです。けれども、その人間をそのまま用いて、神は豊かな神の業をなすことがお出来になるのです。貧しい者が貧しい隣人を生かす業にお用いになるのです。

 しかし、8節、このような献身の勧めは、命令ではないのです。自分の貧しさに汲々として人を支えるどころではない。奉仕するどころではない。それは重荷だと言いたくなってしまう私たちへのキリスト者ならばこうあるべきだという命令ではないのです。それは命令ではなく、その献身に先に生き始めた兄弟姉妹の姿を通して、私たちの「愛の純粋さ」を確かめるための言葉だとパウロは言います。私たちの神への愛、隣人の愛が本物であるか、偽物であるか?それが確かめられるためだというのは、ある意味、命令よりも恐ろしい言葉に聞こえるかもしれません。しかし、これは、人間への試験というわけではなく、この私たちを生かす神の恵みの手応えを味わおうという招きであると思います。なぜならば、純粋な愛とは、神の愛以外ではないと思うからです。純粋な愛とは、私たちが抱く愛である前に、神がキリストにおいて私たちに抱いてくださったその十字架とご復活の愛であると思うからです。つまり、私たちがこの神の愛に生きているか?いいえ、この神の愛に生かされているか?もし、生きていない、生かされていないというならば、この愛に生かされればいいんだ。この愛に生かされること、それは難しいことではありません。というのは、私たちがそれに気づこうが気付くまいが、その愛はもう私たちの上に注がれ、私たちはその愛に生かされているからです。それは9節、「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」という言葉が語る通りです。堀江先生も良く仰いました。努力じゃない。律法じゃない。既にそうなんだ。キリストの十字架に溢れ出した貧しさが、私たちを生かす豊かさになった。実現しなければならないことではなくて、今既にここに現実になっていることなのです。命令ではありえないのです。そうではなく、どんな例外もない、私たちの貧しさのあらゆる側面において、キリストが主となり、福音が味わわれ、現実となるのです。

 最後にイースターの関連において、このことをよく覚えておきたいと思います。今日の個所には主のご復活に言及されていませんので、次のように理解してしまうことが、万が一あるかもしれません。これがまるで自然法則のようにして、理解されてしまうことです。たとえば、豊かな者がこぼれ落ちる余りもので貧しい者に施すよりも、貧しい者がその貧しさの中で捧げるものこそ、気持ちが籠っていて、同じ分量の奉仕であっても、その尊さは違うと。伝わる思いも違うと。それもその通りであると思います。そういう面はあると思います。主イエスもまた、ある時、銅貨二枚を献げたやもめの捧げものを誰よりも大きな献げものだと喜んでくださいました。しかし、そこにおいても本当に大切なことは、神殿の主が、その貧しいやもめの捧げた生活費の全てである銅貨2枚に目を留めてくださるということです。すなわち、神が介入してくださるということです。

 主イエスの十字架の死もまた、必然的に復活に至るようなものではないということは、私たちも良く知っていることです。キリストのお甦りとは厳密に表現するならば、天の父が、御子をお甦りにならせたということです。十字架が復活に至るのは、冬が春にやがて移り変わるような自然のサイクル、法則ではなくて、神の思い、神の願いが、起こりえないことを起こしたのであります。だから、キリストのご復活は、必然ではなく、奇跡なのです。法則ではなく、神の思いの結実なのです。そして、キリストを死者の中からお甦りにならせた神の思いが、貧しい私たちをそのまま用いて、神を愛し、教会に仕え、隣人を生かす、復活の奇跡に等しい神の業として、出来事となるのです。私たちの生活の中で、私たちの日常の中で、私たちの信仰の歩みにおいて。

 その献身の業は、教会内での奉仕、すなわち、主の日毎に説教を鳴り響かせ続けるために必要な教会内での奉仕だけではありません。職場においても、学校においても、家庭においても、献げられる24時間、365日、続く神への献身の生き方です。神の御心の成就である十字架とご復活の主イエスを導いた神の思いが、あっちもこっちも崩れていくような極度の貧しさの中にある私たちの主となり、共に生きる人たちを生かすために、私たちの丸ごとすべてを奇跡的に用いてくださるのです。

 

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