礼拝

2024年1月7日(日)主日礼拝

一つの言い方をすれば、私たちキリスト教会の信仰は、「見る」ことに基づく信仰です。

8節には、「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」とありますし、18節にもまた、「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」と、ある通りです。

私たちの信仰は、見ることに基づいている信仰です。もちろん、これは、「一つの言い方をすれば」と言うことです。

これとは、全く逆な言い方もできます。

なぜならば、今日与えられた聖書箇所から、ほんの少し先のヨハネ20:29では、お甦りの主イエスが疑い深いトマスに向かって、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」とお語りになったのであり、また、使徒ペトロも、「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びにあふれています。」(Ⅰペトロ1:8)と、見ないで信じる信仰を称賛しているからです。

その角度から言うならば、私たちキリスト教会の「信仰とは、望んでいることがらを確信し、見えない事実を確認すること」(ヘブライ人への手紙11:1)だと言えます。

しかしまた、今日、神様が私たちに与えてくださった聖書の言葉に従った角度から言えば、キリスト信仰とは、18節のマグダラのマリアの証言のように「わたしは主を見ました」と、はっきりと言えるものでもあります。

大きな地震がありました。ここ金沢においても、度重なる余震と、一晩中鳴りやまないサイレンの音、停電、断水、津波を警戒した避難のために、先週は、それぞれ眠れぬ夜を過ごしました。

年が改まったばかりの1月1日の午後4時10分、大地震が能登半島を襲いました。

お正月のゆったりとした、穏やかな夕刻、私たちの内の多くの者にとって、一年の内で最もリラックスできる時間帯と言って良い時でした。

羽咋教会の内城牧師一家は、ほっと一息つこうと、羽咋から、富来伝道所に着いたとたんに、被災され、そのまま引き返し、凸凹になった道路を通って、いつもより長い時間がかかって、羽咋にとんぼ返りとなり、今の今まで災害対応に励んでいらっしゃいます。

七尾教会は、壁が剥がれ落ち、荷物もぐちゃぐちゃに散乱しましたが、17年前の震災の時に建て直した高台にある堅牢な建物ですから、付属園舎と、会堂を避難所として開放し、一時は、200人以上の人々を受け入れ、その対応に追われています。

一番被害の大きかった輪島教会は、会堂の入り口はつぶれてふさがれ全体も半壊状態で使い物になりません。牧師館も柱が窓を突き破るというダメージを受け、新藤牧師は、数名の教会員と共に、避難所生活を続けていらっしゃいます。

これらの状況は、日本基督教団中部教区ホームページに写真と共に挙げられていますから、御覧ください。

この震災で、17年前とは比べものにならないくらいの多くの命が失われ、多くの家が失われました。まだ、その被害の全容もわかっていません。

しかし、それにも関わらず、今この時も、それぞれの教会の群れは、礼拝を捧げていると伝え聞いております。

今朝も被災地の教会では、主の日の礼拝が捧げられています。

当初、輪島教会は、それでも比較的ダメージの少なかった牧師館の一室で今日の礼拝を捧げることを予定していました。しかし、結局、断念し、今日は、避難所で小さな礼拝を捧げているようです。けれども、それは小さな礼拝であろうかと思います。それは、避難所全体を包む礼拝ではないかと思います。

また、羽咋教会では、計画通り、水曜の朝晩の祈祷会、月に一度の金曜聖餐礼拝、そして、今日、主の日の聖餐礼拝、富来での聖餐夕礼拝が、予定されています。

七尾教会、また他教団の教会も同じだろうと思います。

礼拝とはお祝いです。礼拝とはキリスト教会のお祭りです。

年間52回のお祝いです。

しかし、私たち教会は、この尋常ならざる災害下にあってもこの祝いを自粛いたしません。

コロナ禍においても、一度も、主の日の礼拝を取り止めることはなかったように、地の基が揺れ動いた今この時も、礼拝を捧げ、主の食卓を祝い続けます。

今この時も、羽咋で、七尾で、輪島で、主の日の礼拝が祝われています。

一方では、それは、私たち教会の信仰が、「…キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びにあふれて…」いる信仰だからだと言えるでしょう。

キリスト信仰とは、「…見えない事実を確認すること」だからだと言えるでしょう。

今、限界のある人間である私たちの目に映るリアルが、主なる神さまの恵みの支配を疑わせるようなものであったとしても、限界のない主なる神さまのまなざしにおいては、私たち人間の命は、髪の毛一筋も失われることなく、神の御手の内に、この私たちとこの世界を御手の内に置かれていることを、今は目には見えない事実として、信じるよう招かれています。

しかし、だからこそ、泣いて良いのです。嘆くことが許されています。

見えない神の支配を信じさせて頂くことができる分だけ、きちんと嘆くことができます。

だから、この祭の祝いである礼拝は、嘆きの場でもあります。

自分をしっかり保ち、生き延びるためにしなければならない様々な業を中断し、礼拝の中では、本当に助けを求めて子どものようになって泣いて良い場所です。礼拝の中に入れられている時、私たちは、私たちの打ち叩くことのできる父の胸、父の御腕の中にあるのです。

しかし、見ないで信じる信仰と言うのは、つらい現実に目を閉じてしまう信仰とは違うのではないかと思います。

つまり、私たち人間の業を中断する礼拝とは、現実逃避ではないと思うのです。

私は現実逃避を馬鹿にする者ではありません。ファンタジーは人を養い癒す大きな力を与えます。

指輪物語の著者トールキンはファンタジーを準創造、神の世界創造に次ぐもの、似たものとさえ呼びました。

私もそのことに賛成です。大きな災害が起こると、テレビ番組が災害報道一色になってしまいますが、本当は、緊急警報以外では災害情報が一切出ない、バラエティー番組や、子ども番組を放送するチャンネルが、各局で話し合って時間ごとに一つくらいあっても良いのではないかと個人的にひそかに思っている者です。

けれども、主の日の礼拝による中断とは、そのような現実逃避とは関係のないものだと思います。

今日お読みしている聖書の言葉を追う中で、私が、印象深く思うことは、一つ一つの描写がやけにリアルだということです。

4節「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、先に墓に着いた。」

7節「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れたところに丸めてあった。」

12節「イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。」

何気ない記述ですが、ちょっと細かすぎる描写のように思います。

しかし、私は、ちょっと立ち止まって思い巡らしてみるならば、これらの記述は、信仰は現実を見ることを犠牲としないということを物語ってくれているようにも感じています。

なぜならば、私たちキリスト教会の礼拝は、見ないでも信じる信仰において始まったのではなくて、イエス・キリストが十字架につけられ、死なれ、墓に葬られ、その墓の中から遺体すら取り去られてしまったという厳しい厳しい現実の只中にあって、「わたしは主を見ました」という、マグダラのマリアの信仰告白に始まったものだからです。

あるいは、私たちキリスト教会の礼拝は、直後の、疑い深いトマスにご復活の主イエスがトマス目がけてまず語られた「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたに手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」という主の招きとご復活の主に身体的に触れる経験に応じた礼拝だからです。

つまり「見る」ことによって始まった信仰なのです。

厳しい現実を見つめているその中で、彼らはご復活のキリストに出会って頂いたのです。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしにはわかりません」と泣きながら、主の遺体を探し回っていた現実の只中で、そのお方を見たのです。そして、信じたのです。

私たちキリスト教会はその初めから、主なる神を見ないで信じる幸いに生きると共に、主なる神を見て信じる幸いにも生き続けてまいりました。

それが、キリストの教会です。

私がまだ神学生だった頃、二回目の夏期伝道実習はこの金沢の地でした。

2007年3月の能登半島地震が起きた年の夏期伝道実習でした。

当時、輪島教会から転任して若草教会の牧師になったばかりであった勇先生に連れられて、震災にあった能登の諸教会を巡りました。

震災後、半年が経とうとしていましたから、日常は取り戻されていました。ただ、七尾教会の会堂に走った亀裂、当時、羽咋教会が礼拝堂として使用していた幼稚園舎の亀裂は記憶に残っています。

しかし、その訪問で、最も深く印象に残っているのは、輪島教会の聖餐用具を見せて頂いたことです。

輪島塗でできた聖餐用具です。しかし、修理や、傷んだ杯の補充をする度に、職人の手が変わり、少し不揃いな形、色になっているその輪島塗の聖餐用具、そして、その聖餐用具を、勇牧師が、誇らしそうに見せてくださったのが一番印象に残っています。

輪島塗の器に、聖餐のパンとぶどう酒が、盛れらるというのは、確かに想像しただけで、すてきなことです。

ああ、この地に教会が生きてるのだ。主がこの地まで、おいでになったのだ。17年前、そういう感動を覚えました。

今日の礼拝で輪島教会はその聖餐用具を使って聖餐が祝えているのだろうか?そもそも聖餐を祝うことができないかもしれないと思います。

けれども、確かに、イエス・キリストは、今、この時代を生きる私たちにとっても、目で見、手で触れることができるお方であることを語る聖餐が、能登の諸教会、石川の諸教会、日本と世界の諸教会に、与えられていることを、今、ここで思い起こすことが許されています。

それが、私たちキリスト教会の信仰です。

2000年の教会は、この主の食卓を、またこの主の食卓に養われた教会を、この地上にある主の体、この地上を現実に歩んでくださる、今、ここにあるご復活のキリストの体として信じてまいりました。

見ずに信じる現臨のキリストではなく、見て触れて、味わうことのできるキリストの今、ここにあるお身体がこの地上にあるのだと、信じてきました。

それが説教と聖餐によって養われる礼拝共同体である教会です。

確かに主のお身体は、私たちが縋りついて、私達の私物にできるようなものではありません。

一人の人が、一つの教会が、独占できるようなお身体ではありません。

けれども、今、ここで私たちが出会い、見、触れることのできるご復活のキリストのお身体です。

見えない御臨在ではなく、見える御臨在です。

説教と聖餐の礼拝において、その教会において、ご復活のキリストのお身体は、この目で見え、この手で触れられるものとなっているのです。

確かにそれはまだ隠されているとも言えます。聖餐のパンと杯を見ても、何があっても日曜毎に集まってくる奇妙な群れであるキリスト教会を見ても、それが、ご復活のイエス・キリストのお身体であることは、誰の目に見ても明らかだということではありません。

しかし、その教会を通して、生けるキリストが、一人一人の名前を呼ぶ時、それは見えるようになるのです。

16節「イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。」

不思議なことに、その復活のお姿を見て、その声を聴いても、園丁としか見えなかったそのお方が、マグダラのマリアの名前を呼んでくださると、わかるようになったのです。
今、ここでも、ご復活の主が、私たち一人一人の名前を呼ばれるならば、私たちにもわかるようになります。

いいえ、もう既に名前を呼ばれてここにいるのです。私たちは、名前を呼ばれたからここにいるのです。

名前を呼ばれて、ここで礼拝しているのです。

名前を呼ばれて、聖餐に与ろうとしています。

名前を呼ばれて、キリストの身体なるキリスト者たちの間に身を置いています。

それはファンタジーとは違います。

それはミュステリオンです。秘儀であり、またサクラメントです。主イエス・キリストの父なる神の臨在のお約束です。

主の日である日曜日ごとに、教会が集められ、主の名を呼び、主の礼拝を祝うたびに、そのお名前を思い起こし、呼ぶたびに、マグダラのマリアの目の前に現れたご復活の主イエスが、ここに立たれ、ここで私たちの名をお呼びになります。

その御声に目を開かれ、その方を見、今、ここでそのお方を全身全霊で味わいます。

そして、その私たちが、世の終わりまで、私たちと共に、この地に生きる、このお方の証人として整えられ、遣わされてまいります。

「わたしは主を見ました。」

ご復活の主ご自身が、私たちのこの唇に言葉を与えられます。さあ、兄弟たちのところに行って言いなさい。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。」

主は上ります。私たちの元に、この全地に下るために上ります。

主が、言葉をこの私たちの唇に与えられます。

今この時も、この私たちすべての人間と同じように死んで墓に葬られ、何の光も届かない陰府にまで下られたイエス・キリストの父が、今、この時を生きる私たち人間の父であり、このお方を死からお甦りにならせた全能の神が、今この時を生きている私たち人間の神でいてくださるのです。

「わたしは主を見ました。」

祈ります。

 

 

 

 

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