礼拝

1月11日(日)主日礼拝

聖書:イザヤ書52章7節~10節
   ローマの信徒への手紙 1章2節~3節a
説教題:キリストと福音
説教者:松原 望 牧師

聖書

イザヤ書52710

7 いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。

彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と

シオンに向かって呼ばわる。

8 その声に、あなたの見張りは声をあげ/皆共に、喜び歌う。

彼らは目の当たりに見る/主がシオンに帰られるのを。

9 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。

主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。

10 主は聖なる御腕の力を/国々の民の目にあらわにされた。

地の果てまで、すべての人が/わたしたちの神の救いを仰ぐ。

ローマの信徒への手紙123a

2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3 御子に関するものです。

説教

序、

新約聖書には使徒パウロが書いた手紙が多く収められています。その中で最も古いのが「テサロニケの信徒への手紙 一」です。「ローマの信徒への手紙」はそれより5~6年後に書かれ、パウロが書いた最後の手紙となっています。

「ローマの信徒への手紙」は、その名の通り手紙ですから、手紙の形式として、差出人と宛先が最初にあります。1章1節のパウロが差出人の名前であり、7節の「ローマの人たち」というのが宛先になります。2節から6節は「福音」や「キリスト」についての説明、またパウロが使徒とされたことの説明になっています。挨拶の部分でこれだけ長い説明があるのは、このローマ書だけです。一番最初に書かれた第一テサロニケ書では「パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ」とあるだけで、極めて簡潔になっています。

ローマ書の自己紹介で、説明がこれだけ長くなっているのは、それだけ、この説明に神経を注いでいることを示しています。ことは、私たちの救いに関わることです。これをおろそかにはできません。ですから、「福音」や「キリスト」について誤解がないようにと、念を押しているわけです。もちろん、この部分は挨拶ですから、詳しい話は後ですることになるわけですが、「福音」と「キリスト」については、パウロとローマの信徒たちが同じ信仰にあることを確認しておこうとしているわけです。

パウロがこれだけ神経を注いでいるのには訳があり、それはパウロの他の手紙を見るとよく分かります。

 

1、「ガラテヤの信徒への手紙」 異なる福音に惑わされている状況

「ガラテヤの信徒への手紙」もパウロが書いた手紙ですが、挨拶が終わるとすぐガラテヤの諸教会で起きていた問題を取り上げます。

「6 キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。7 ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。」(ガラテヤ1:6~7)

パウロは、この手紙の中で「キリストによる信仰によって義とされる」(ガラテヤ2:16)という事を強調しています。

 

2、「コリントの信徒への手紙 一」 十字架につけられたキリストのみ

「キリスト」という言葉は、もともと旧約聖書のメシアという言葉のギリシア語訳で、「香油(あぶら)注がれた者」という意味です。これは旧約時代に王や祭司、預言者がその職に就くときに香油を注がれたことからそのように呼ばれました。その言葉は、後に「神から特別の使命を与えられて遣わされた人」を指す言葉として使われるようになり、特に、他国や他民族から苦しめられているときに遣わされると信じられ、政治的・軍事的指導者がメシアとみなされるようになりました。新約聖書の時代やそれ以降の時代でも、自らメシアを名乗ったり、周囲からメシアと祭り上げられた人が何人もいたようです。とにかく、人々が期待したのは、英雄としてのメシアでした。コリントの教会が直面したのも、こういう背景がありました。キリストを信じないユダヤ人、ギリシア哲学などの教養を持っている人々は、キリスト教会が宣べ伝えるイエス・キリストは英雄の姿からは程遠く、「十字架で殺されるようなやつが救い主なのか」と非難し、馬鹿にしているという状況にあったのです。そういう非難に対して、パウロは、十字架につけられたイエスこそ真のキリストであると訴えたのです。

 

以上のようなことがあるため、パウロは、まだよくは知らないローマの信徒たちに、自分が信じる福音とキリストを簡潔に語り、お互いが共通の信仰を持っていることを確認しようとしているのです。

 

3、パウロの自己紹介から「福音」の説明へ

ローマ書に戻りますが、パウロは1章2節から「福音」について説明しています。

1節の自己紹介は、もともとの文章は次のような順番になっています。

まず「パウロ」と自分の名前を紹介し、続けて、自分が「キリスト・イエスの僕」であること、自分が「(神に)召されて使徒となった」こと、自分が「神の福音のために選ばれた」ことです。この「神の福音のために選ばれた」という言葉の「福音」が1節の最後になっており、その福音を2~3節で説明しているわけです。

2節には、実際には「福音」という言葉はないのですが、文章の流れから福音についての説明だと分かりますので、翻訳の時に、「この福音は」と言葉を補ったというわけです。

 

4、「福音」

「福音」という言葉は、もともと特別の言葉ではありません。ギリシア語ではユーアンゲリオンと言いますが、先ほど旧約聖書のイザヤ書52章7節以下を読んでいただいた時、その中に「良い知らせ」という言葉がありました。この言葉がギリシア語に翻訳された時、ユーアンゲリオンという言葉に翻訳されました。ですから、「福音」という言葉は「良い知らせ」という意味で、ごく普通に使われます。例えば、日本語の「朗報」という言葉に当たると考えてくださって良いと思います。

そのような事情がありましたので、パウロは「ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎない」(ガラテヤ1:6~7)と厳しく警告したのです。

このように「福音」という言葉だけでは、人によって「何が福音か」が違ってきます。そこで、パウロは、簡単ではありますが、福音について説明をしていくことにしたのです。

 

5、勝利の喜び「福音」(ユーアンゲリオン)

少し余談になりますが、ギリシアの世界において「福音」は、戦いに勝利した喜びの意味もありました。

かつて、現代のマラソン競技の由来となったマラトンの戦いがありました。強大な軍事力を誇るペルシア帝国がギリシアに攻めてきたとき、アテネの兵士たちがマラトンという海岸で陣を敷き、敵を迎え撃ちました。圧倒的な不利の戦いを戦い抜いたアテネの兵士たちは、母国アテネに伝令を送り、勝利の報告をさせました。この勝利の報告がユーアンゲリオンで、この勝利の報告をした伝令もユーアンゲリオンと呼ばれました。

キリスト教会では、罪に打ち勝つことのできない私たちに代わって、勝利を得てくださり、罪の力から解放された喜びをユーアンゲリオンと説明するようになりました。

 

6、パウロが語る「福音」という言葉

パウロが説明する「福音」は、決してパウロだけが信じている福音という事ではありません。キリスト教会が一致して受け入れている信仰です。それが2節から3節にある言葉で、第一に「神が既に聖書の中で預言者を通して約束された」という事です。ここでいう「聖書」とは旧約聖書のことです。旧約聖書に記されている預言者の言葉に、パウロが告げる「福音」が神の約束として記されているというのです。ここで重要なことは、預言者という過去の人間の言葉という事ではありません。預言者を通して神が約束されたという事が重要なのです。決して、パウロの思い付きではないという事です。

もう一つは「御子に関するもの」という言葉です。すなわち主イエス・キリストに関することだという事です。この説明は3節後半から4節にかけて説明されています。

 

7、新約聖書における「福音」という言葉

少しローマ書から離れますが、新約聖書の中で「福音」がどういうふうに使われているかを確認することは大変有益だと思いますので、そのことについて触れておきたいと思います。

まず、パウロは第一コリント書15章で「兄弟たち、私があなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」(1節)と言って、「3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5 ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れたことです。」(3~5節)と語りました。

要約すると、①旧約聖書に書いてある ②我々の罪のためにキリストが死んだ ③葬られた ④キリストは復活し、使徒たちに現れた、という事です。

また使徒言行録には、ペトロの説教が三つ(使徒2:14~39、3:13~26、10:36~43)とパウロの説教が一つ(使徒13:17~41)記されています。実際そのまま説教されたのではないかもしれませんが、ペトロやパウロがどのような説教をしたか参考になります。そして要約すると、いくつかの項目に整理することができます。

①預言は成就した。 ②ダビデの子孫として生まれた。 ③この世で人々に教えをされた。 ④彼は死んだ。 ⑤彼は復活した。 ⑥昇天し、神の右に座した。 ⑦聖霊は、キリストの力と栄光のしるし。 ⑧キリストは再臨される。 ⑨我々は、以上のことの証人である。

こうしてみると、完全に同じというわけではありませんが、私たちが信仰告白として唱えています「使徒信条」によく似ています。

もう一つ、心に留めていただきたいのが、新約聖書の四つの「福音書」です。これらの「福音書」はそれぞれ特徴の違いがありますが、主イエスの地上の生涯を描いているという事では同じです。その主イエスの生涯を描いている書をなぜ「福音書」と呼ぶのかは、今の説明でも明らかだと言えます。

すなわち、「福音書」は単に主イエスの生涯を描いたというのではなく、主イエス・キリストこそ「福音」であり、「福音書」は使徒たちが語り伝えた「福音」を、物語という形で伝えているという事なのです。

 

8、ローマ書の中心メッセージは「福音」

パウロはローマ書1章16~17節において「16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」と記しています。この言葉が、ローマの信徒に宛てた手紙の主題であり、パウロが最も伝えたかったことです。

「福音」は、すなわち「キリスト」は「信じる者すべてに救いをもたらす神の力」だと力強く語ります。この福音をパウロはローマにおいて共に確認し、共有したいと切に願って、この手紙を書きました。そして、この福音を地中海世界の西側にまで宣べ伝えたいと強く願っているのです。それは、パウロ個人の願いというだけではなく、むしろ、神の願いなのです。

主イエス・キリストは、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19~20)と告げ、弟子たちを派遣しました。

また、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)と弟子たちに告げられました。

 

9、イエス・キリストという「福音」

主イエスを地上にお送りくださった父なる神の御心は、主イエス・キリストによって、皆さんが救われることです。その「福音」は皆さんのための「福音」で、既に皆さんに届けられています。この「福音」に生きていただきたいと心から願っています。

 

 

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