未分類

8月9日礼拝

説  教  題  「見えないものに目を注ぐ信仰」 阿武秀治長老
聖書個所  コリントの信徒への手紙二4章12節から18節
讃  美  歌    546、298、頌栄541 (54年版)

見えないものに目を注ぐ信仰 阿武 秀治

 大澤正芳牧師のマタイによる福音書の講解説教が一区切りついて、8月休暇に入られました。

主日礼拝の説教者も桶谷先生と長老2名に託されることになり、私は1信徒として、大澤先生の講解説教を神様からの言葉として受け止め、ひとりの信徒の応答として、信徒の大先輩である、使徒パウロの書簡から皆様と学びたいと思い至りました。

「本日の聖書箇所のパウロの書簡の主題は、18節わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」の言葉です。

日本語としての意味は分かります。しかし、見えないものに目を注ぐとは、論理としては意味が通りません。私は人生の半分以上をクリスチャンとして時間を費やしていますが、聖書の深い意味について、良く分からないことだらけです。

 大澤正芳先生の言葉をお借りすれば、躓くべき所で順当に躓いてきました。しかし、躓いても、なお、聖書の御言葉そして全体を通して、私たちの心に訴えて揺さぶられる。

 ただ躓いて終わりではない。この魂を揺さぶるものは何だろう、この問いかけをずっと今に至るまで持ち続けています。

 見えないのだから、目を注ぐことはできないはず。使徒パウロは何を訴えたかったのでしょう。

 少し詳しく見ていきましょう。

使徒パウロは、当初はキリスト信徒を迫害してた一人でした。使徒言行録8章1節では、歴史上最初の殉教者と言われる、ステファノの殺害に賛成していた者でした。

 先週、桶谷先生も説教の中で言われましたが、使徒言行録9章では、「サウル、サウルなぜ私を迫害するのか」との声を聴き、倒れて目が見えなくなった、そして、神様の働きにより、主の弟子アナニアに導かれてユダと言う人の家に行き、そこで目からうろこのようなものが落ちて、目が開け、主イエスを信じる者とされました。そして、福音を伝え、迫害する者から迫害される者となったのです。余談ですが、目からうろこのことわざはこの出来事から来ています。

 使徒パウロの伝道旅行は3回にも渡って今のトルコ国ガラテヤやギリシァ国コリントに伝道旅行をしたそうです。

 1回目のコリントへ伝道旅行をした後に、教会が立てられましたが、コリントの教会に問題が起き、その立て直しを語ったのが、コリントの信徒への第一の手紙です。その手紙の後、コリントの教会の進展を同胞テモテを通して聞き、さらにテモテに託してコリント

の教会に書き送った手紙のうち残っている手紙が、このコリントの信徒への第二の手紙だそうです。まず、 12節「わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります」

 ここで、「死」と「命」が同時に働いていることが語られます。私達の内に「死」と「命」が別々のものではなく、「死」と「生」が一体で働くことを意味します。

 「死」と「生」が同時進行で一緒に私達の内に働いていることを伝えています。

 さらに、「わたしたちの内、あなたがたの内」と複数で語られることに惹かれます。

 使徒パウロは伝道の困難の中で、迫害を受け、「死」を意識します。コリントの教会に

伝える福音によって、コリントの教会の人たちの内には主イエスの命が働きます。信仰の希望の命があなた方の内に働きだすのです。

おそらく、使徒パウロはこの手紙が後世にこうして聖書として残ることは想定していなかったと思います。しかし、今聖書となり、ここに、読む私達の内にも命が働きます。

13節「わたしは信じた、それで、わたしは語った。」今、ここにこうして、神学も学んだこともない、ただの1信徒が礼拝で語っています。信じることは、語ることになる、と使徒パウロは伝えます。それは、神様から語る者として力を受けるからです。畏れ多い事ですが、神様のために語ることは恵なのです。

14節「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがと一緒に御前にたたせてくださると、わたしたちは知っています。」主イエスの再臨の日に神様の御前にたたせてくださることが、事実として神様との約束であると語るのです。

15節「これらのことはわたしたちのためであり、わたしたちを通して多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになる。」

 信じることは、私たちのためであり、さらに、私たちを通して多くの人々が豊かに恵を受け、感謝の念に満ちて神様に栄光を帰すようになる。私たちは、今こうして、共に礼拝する者とされて、集まっているのです。

 今年の春4月、5月にコロナウィルス感染症拡大防止のために、礼拝を大勢の人が集まる形から、家庭礼拝推奨に変更せざるを得ませんでした。

 皆様、どうでしょうか?日曜日の10時30分に礼拝があると決められているから教会に来られているのでしょうか?教会に集まって心から、礼拝したい、賛美したい、と思われなかったでしょうか?

 神に栄光を帰すようになったので、私たちは誰かから強制させられて来ている訳ではなく、自ら礼拝するものに変えられたからではないでしょうか?

 16節「だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」

 外なる人、肉体は衰えていきます。 外なる人の衰えは小心者の私にとって、怖くて、恐ろしいことです。しかし、「内なる人」は神様によって、ますます神様を仰ぎ、日々憧れる者とされるのです。

 私が二十歳の時に、大阪の豊中教会で村山盛厚先生から洗礼を受けた後、かなりご高齢で教会に来ることのできないほどで、お会いしたことの無い方から、下宿に葉書を頂きました。

そこには「受洗おめでとうございます。いつも祈っています」とあり、思いもかけないことでびっくりしました。私は祈られていた。私自身の信仰は、自分が信じたからではなく、知らない方からも祈りを献げていて下さったからこそ与えられて祈りが聞かれたと知り、涙が出ました。外ある人が衰え、教会に来れないほどであるにもかかわらず、私の事を祈っていて下さった。この方もまた、外なる人が衰えても、内なる人が新たにされて、変な若い男子が教会に来ている事を伝え聞き、主の導きを祈っていて下さったのです。

 また、大好きな作家の三浦綾子さんという方も思います。教団の旭川六条教会のクリスチャンで1999年に天に召されましたけれども、ご自身がパーキンソン病にかかられ、がんにもかかられながら、最後まで「わたしには死ぬという仕事が残っている」と言われ信仰に生きられた作家です。

 外の人は衰えても内なる人は日々新たにされた方のお一人だと思います。

三浦綾子さんの事になると話が止まらなくなるので、次に進みます。

 17節「わたしたちの一時の軽い患難は、くらべものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」何気なく記されていますが、使徒パウロは凄いことを伝えています。 先ほど、使徒パウロが「死」を意識したことは、朗読箇所には入れませんでしたが1章8節から記されています。「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。」とあります。ひどい迫害を受けて命の危険まで及んだことを告げています。

しかし、驚くべきは次の9節「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」ここに、使徒パウロの絶望からの希望を知らされます。

この8節の生きる望みを失った出来事と比較して、現在の使徒パウロにかかる迫害、患難は一時の軽い患難だと言い切るのです。なぜなら、患難に優る「永遠の栄光をもたらしてくれる。」からだと教えます。

 苦難をも優れた神様の栄光。憧れますが、使徒パウロのような心境になれるだろうかと尻込みしてしまいます。

 私自身の信仰の課題の一つに、「どうやって自分を頼りにせず、神を頼りにして生きていけるのだろうか」という問いがあります。使徒パウロの体験では、苦難こそ神を頼りにするきっかけになると伝えます。

 教会報に記しましたが、私もクリスマスに受洗して次の年、1か月も経たないうちに、クリスチャンだった母美恵子が急性心不全で天に召されました。

 突然の悲しみはずっと続いています。しかし、今、ちょっと落ち着いて思うと、この世で短い間でしたが、息子が神様に捕らわれた姿を見せることができて良かったと思います。どのように神を頼りに生きるのかという課題は生涯かけて問い続けて取組むほど難問であるけども、価値のあることだと最近は感じています。

 そして18節「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」と続きます。

大事なものは目に見えないという事で頭に浮かんだのは、フランスの作家でサン・テグジュペリという人が書いた「星の王子さま」と言う童話です。

小さい星で生まれた「星の王子様」はいろんな星を旅して多くの人に出会う童話です。

そして、地球に王子様はやってきます。地球で友達になる人を探していた王子様はキツネに出会います。王子さまに出会ったキツネが語る場面があります。「ものごとはね、こころで見なくては良く見えない。いちばん大切なことは目に見えない。」とキツネは王子様に語るのです。とても印象に残る言葉です。

飛行機で砂漠の真ん中に遭難した語り手僕と出会います。王子様も語り手僕と出会って、お互いに友達と思うのです。

ここでは、大切なのは、友情とか愛情、思いやりで、大人になるにつれて、目の前のことに夢中になり大事な事を忘れてしまう。このような事を伝えたいのかなと思います。

使徒パウロは、目には見えないものと比較して、目に見えるものは過ぎ去ると言います。

確かに、形あるものは壊れる。人も形がなくなってします。とても寂しいことですが、事実誰もが納得します。そして、目に見えないもの、友情とか、愛も含まれるかもしれませんが、何より、今、私たちが見ることのできない主イエスキリストと神は永遠であり、目を注ぐことが大切だと、わたしたちに迫るのです。ここには、見えないものは信じることができないと言う者を反論できないほど圧倒します。

 この聖書箇所は、社会人となって、山口

県の宇部緑橋教会に在籍していた時、妻と出

会った教会ですが、陣内恵子牧師婦人が良く

口癖のように言っておられた箇所です。

 陣内先生は東京の三軒茶屋教会の牧会の後

引退されました。ご子息の陣内大蔵さんは一

時売れっ子のミュージシャンの後、現在、東

京東美教会の牧師をされています。

 若い時、私は社会生活と教会生活との狭間

で悩み、陣内ご夫妻に打ち明けて相談してい

ました。陣内牧師婦人は恵子先生と親しまれ

ていましたが、生活の判断基準はこの聖書箇

所でした。

「でも、いつか目に見えるものは過ぎ去る

じゃない」と判断の基準にされていました。

今、目の前にある困難と思える出来事もい

つか、過ぎ去る。そのようなアドバイスでも

あったかと思います。

 また、目の前の出来事に一喜一憂せずに人

生全体とさらにその先を見越して行動する。

 過ぎ去らないものを大事にしなくちゃとい

う生活態度を学びました。寂しいことですが、

2017年5月に神様の元へ旅立たれました。

 ここで、私自身の信仰の歩みを振り返って

みます。

 本年の2月2日の礼拝説教で大澤正芳先生

は高倉徳太郎牧師の福音的キリスト教という

本を紹介されました。私は、びっくりしまし

た。と言うのは、私の父に洗礼を授けた牧師

が高倉徳太郎先生のご子息高倉徹先生であり、

父母の結婚式も高倉徹牧師の司式で挙式して

います。

赤ん坊の私が母に抱かれて、母の母教会で

ある岩国東教会の創立10周年記念礼拝写真に

写っています。私自身は記憶ありませんが、

著名な牧師が山口県の田舎の教会で牧会され、

岩国東教会の設立に高倉徹牧師が精力的に働

かれた様子が記念誌に記されています。

 高倉徹先生は岩国教会牧会の後、教団総幹

事、農村伝道神学校の校長を歴任されて、

父母も農村伝道神学校を支援していたことをおぼろげながら覚えています。

 後に、高倉徹先生は、日本の教会は名もな

い信徒一人一人が支えていると、言われたそ

うです。信徒の一人として励まされます。

私自身は教会付属の幼稚園に通わされ、教

会学校に通い、中学生の時には、今もご健在

の、岩井健作先生とマンツーマンで教わりま

した。岩井先生は聖書について神様と人との

契約の歴史書であるとの意味を教えて頂きま

した。

その時は良く分かりませんでしたが、先日

バイブルクラスで三田先生にもこのことをお

話すると。聖書契約はTESTAMENTであり、日本語

の契約は通常CONTRACTの意味で深い意味が違う

と教えて頂きました。これは、聖書理解にと

ても大切な概念であると思います。

CONTRACTの契約は、契約相手が万が一約束を

破ったらどうする。という事を文書で取り交

わします。例えば、家をローンで銀行と契約

して購入したとき、家を抵当にして、支払い

が滞った時、家は銀行の所有となります。

聖書の言う契約は、神様の側から一方的に

約束された契約です。人間が約束を守れなく

ても、主イエス様の血の贖いによって、許さ

れ、神様はわたしたちを決して見捨てない。

それが神様の契約ではないでしょうか。

 大澤正芳先生が、先々週の夜の祈祷会では、

聖書契約について、コメントされました。

 聖書契約について、また詳しく解説される。

と思います。

 父:宏之の父、つまり私の祖父にあたる、清は海軍の軍人で戦艦に乗っていました。

 父が若い時に病死し、父の母も父が若い時

に亡くなっていますので、私自身も父方の祖

父と祖母に会ったことがありません。

 父が教会に行きだしたきっかけは語らなか

ったのですが、戦後、父と兄妹3人が取残さ

れ、戦後の虚しさから教会に行きだしたのだ

と思います。

 子供4人に対しては、暴力的で、反りが合

いませんでいたが、今思うと、父も戦争の犠

牲者だったと思います。

私が生まれ育った岩国という地には、米軍

岩国基地があり、被爆地広島とも40㎞の距

離であり、父母がキリスト者平和の会に入っ

ていました。

ベトナム戦争時にはベ平連と呼ばれる会とも

つながりがありました。

平和問題に敏感な教会と思います。

母は、広島から岩国に来る電車は焼けて悲

惨だったと言っていました。

 教会学校でも、爆風を浴びた体験をお聞き

し、駅前では、手や足が無い人が空き缶を前

に置きむしろに座っている姿を見た記憶があ

ります。

私は教会育ちなので、その雰囲気には肌感

覚で馴染んでしまったのだと思います。

 しかし、信じるか、と言うところで飛び込

めないでいました。なぜ信じられるのか?信

仰者とは何か?どう生きるのか?その問いは

今も信じたからと言って問いかけられている

と思います。

先日の説教で正芳先生が「サンデークリス

チャン」について、触れられましたが、正に

そうで、日曜日には教会に行くけど、平日は

仕事仕事で全く信仰生活とはかけ離れた生活。

1週間の罪の赦しのために礼拝に行く。その

ような状況でした。

そう思わなくなってきたのは、年取って信

仰生活がいい加減になってきたこともありま

すが、それでも、神様は決して私を見捨てな

い。日本において、キリスト教徒であること

は大変ではあるけれど、私がその場にいるこ

とは、神様がそこに必要な者であるからいな

さいと言われている。と信じるようになった

からです。神様の福音を大胆に仕事上で伝え

ることははばかれるけれど、そこに私が居る

ことを神様が必要とされている。

 私は、今まで、ビジネスで「自分の力で自

分を頼りに」切り開いていこうとしてきまし

た。若い時は自分の能力を高め、仕事ができ

るようになることが目標でした。会社では「

1円でも多く儲ける」ことが目標だと言われ

たこともあります。

しかし、今の社会状況をみると、それだけ

ではビジネスも続かない事を社会が分かって

来たと言えるでしょう。持続可能な社会を良

く聞くようになりました。 

 私は、母と父を通して神様に出会った事が

にきっかけではありましたが、先ほどご紹介

したように親だけでなく知らない所で私のた

めに多くの人が祈っていて下さったことを知

りました。教会の強さをそれぞれの教会に与

えられていることを思います。

 昨年山本長老がヘブライ人への手紙11章1節「信仰とは、望んでいる事柄を確信し。見

えない事実を確認することです。」と取り上げ

られました。見えないことこそ大切である。

と、同じパウロの書簡として一貫しています。

 ここに、信仰者の喜びがあり、教会がある

理由があります。

受洗したころ口語訳聖書の詩編23編を何

度も読みました。「わたしはとこしえに主の

宮に住むでしょう」とあります。「とこしえ」

と言う言葉に惹かれています。とこしえとは

どのような時間感覚なのでしょう。

とこしえを私たちは見ることはできません。

しかし私たちは「永遠に主の宮に住む」こと

を約束されているのです。

東日本大震災の年の夏、東北教区センター

「エマオ」という施設を拠点に1週間のボラ

ンティアに参加しました。

 仙台の若林区の海岸近くで、写真を撮らないで下さいと案内された場所は、地面に埋ま

った家の基礎だけを残し、すべてが流されてしまった地区でした。

 センター「エマオ」では、若い女性クリス

チャンの写真があり、津波の犠牲になったこ

とが記されてありました。

 降りかかる苦難について、私たちは理由も

見つかりません。

しかし、ボランティアに世界から集まって

きたクリスチャンとノンクリスチャンを見て、

神様は人が助けあって生きるように創られて

ていると強く感じました。

 主イエスキリストの復活を仰ぎ見てきた

弟子たちとそれに続く信仰者の歴史の縦の糸。

 そして、同時代を生きるクリスチャンの繋

がり合う横の糸。

 この縦糸と横糸つながりの中に、わたした

ちは確かに存在しています。

 わたくしたちの信仰の弱さは、おそらく神

様は百も承知で問題にされていないのです。

そのための主イエス・キリストの十字架の贖

罪であったのです。

神様はわたしたちクリスチャンを通して、

神様を信じて喜びに生きる者を一人でも多く

招くことができるように望まれていると思い

ます。使徒パウロの活躍も凄いなと思いま

すが、たった一人の活躍ではなく、信仰を導

いたバルナバ、伝道旅行を共にしたテモテ、

テトス、12弟子の姿があります。

 初代コリントの教会は問題もありましたが、

使徒パウロは書簡によって、福音を伝え、励

まし、聖書となりこうして伝えられます。

 欠けの多いわたくしたち、しかし、教会では、慰めが語られます。希望が語られます。

 喜びを表さざるを得ないのです。

そして、今も生きて働かれる主の導きとわざ

が現れています。

目に見えないものに目を注ぐ喜びを分かちあう者とされるのです。

 

 祈り

主なる神様

75年前の今日、長崎に原爆が落とされた歴史の日にこの信仰の弱い者を、講壇に立たせ、

御言葉を語らせたお支えを感謝します。

 私自身は力ないものですが、今ここにいら

っしゃいます神の家族。ご家庭で礼拝を守っ

ておられる神の家族、遠く離れていても同じ

信仰を持つ神の家族、また、信仰を求める神の家族と共に礼拝に預かる幸いを感謝します

 信仰は、自分の力で信じる信じないのではなく、主が一方的に与えられている事実をた

だ、受け取る事ができますように。

 とこしえを約束された喜びもさることなが

ら、「みこころの天になるごとく、地にもな

させたまえ」の教えられた祈りがわたくしたち自身が地でなすべきことの促しであることを受け留めて、日々新たにされてあたえられた使命、ミッションが行えますように。

 手術を終えられたみずき牧師を守り一日も

早く癒されますように、入院されているお一

人お一人が主と共におられることを信じ癒さ

ますように。肉親を失って悲しみにある家族

と共に主がおられますように。

 キリストの福音を未だ知らない人たち、

私がかつてそうであったように、疑問を持っている人たちに、受け入れられますように。

 お一人お一人の祈りに合わせて、主イエス

・キリストのお名前によって祈ります。

讃美歌298番解説 

本日の讃美歌はシベリウスと言う人の作曲とカタリナ・フォン・シュレーゲルと言う方の作詞の讃美歌です。

一昨年のラジオ放送でエストニア国立男性

合唱団とNHK交響楽団がこのメロディーの

フィンランディアと言う交響詩の演奏を聴き

ました。ラジオながらも感動しました。原曲

に合唱付きがあるという事を知りませんでした。

その年、音楽講習会IN北陸で講師として来

られた志村拓生先生が、その演奏会を生で聴

いたと言っておられて、感動を分かち合いま

した。

シベリウスは現在のフィンランド国が帝政

ロシアの領地であった時代に活躍した音楽家

で、原曲の歌詞は、フィンランドの祖国を歌うという原曲歌詞があるのをこの演奏会で

初めて知りました。

この讃美歌298番はシベリウスのメロデ

ィーに、ドイツの讃美歌集で取り上げられていた詩を組み合わせられた讃美歌だそうです。

 苦難のときにも、神様のみ胸に委ね、うれ

いや怖れが消え、み国がやがてきて、いのち

の幸、しあわせを受ける。

 親しみやすいメロディーはどこかで聴かれ

た方も多いと思います。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。