牧師室便り No.36  2020.5.10

牧師室だよりNo.36

 緊急事態宣言が延長されました。公立の高校は早々と5月いっぱいの休校を決定しました。私たちの教会の家庭礼拝推奨の期間は、基本的に県の歩みに合わせることをお伝えしてきましたので、来週から通常通りに戻るというわけには行かないようです。正式には、本日(5/10)の定例長老会にて、決定し、お知らせいたします。

 

 自粛疲れということが言われていますが、先の見通しが立たない事への不安や、焦り、苛立ちが、私たちの疲れに拍車をかけている部分は大きいと思います。自分と隣人の命を守ることを第一にすることを私たちも重んじています。しかし、皆がただ家に閉じこもっていれば済む問題ではありません。ライフラインを保つために働きに出なければならない人がいます。休業補償が貧弱なために、店を開け、働かざるを得ない個人事業主も大勢います。先進国中、極端にPCR検査数が少ないことを、ようやく政府が認めました。そのため、先の見通しを立てるための材料を失っていると、報道されています。しかし、自分の中に、特に驚きが湧かないことを感じます。分かり切っていたことだという思いしか浮かばないのです。改めて、政治に絶望してしまっている自分であることに気付かされます。民主主義の崩壊は、無関心から始まると、最近読んだ本に書いてありましたが、それに加担してしまっていると思わされます。

 

 今日のみずき牧師の説教の黙想を聴きながら、そこでルターの言葉を紹介してもらい、悔い改める思いが与えられました。私たち教会は、真にこの日本の中で小さな小さな群れに過ぎませんが、大きな責任を担っていることを教えられました。私たちの教会の先達である植村正久も「教会は、社会の木鐸である」ことを常に、意識していました。私たち教会の声は小さな声かもしれませんが、王であり、祭司であり、預言者であることを、忘れてはならないと思わされています。もちろん、どんな厳しい裁きの預言の言葉も、福音の言葉として語れなければ、キリストの教会の言葉とは言えないということを忘れてはならないと思います。

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