牧師室だよりNo.82

このクリスマスに二人の洗礼入会者が与えられました。今年は6人の新入会員が与えられました。それぞれの人生の歩みがあり、しかし、不思議な出会いと導きによって、神様がそのお一人お一人をこの群れの中に導いてくださいました。連れ帰ってくださいました。お帰りなさい。ここで、共に神の声を聴き、共に、祈り合い、支え合うようにと、招いてくださった神の家族です。罪人の集まりである教会生活にはもちろん、色々なことが起きますが、最後には、教会を生かしてくださる主の御業だけが立ちます。そのことを信じ、赦し合い、祈り合って、お互いに敬意を持って行きたいと願います。教会の一致は私たちの手には余りますが、神さまにはそれがおできになります。

 コロナの厳しい数年間が守られ、このような教会の生き生きとした姿を、見せて頂くことができるのは、私達金沢元町教会に対する主の助け、主の憐みと言う他ありません。この教会に、私たちの間にあって、生きて働いてくださる神様のしるしを、あちらでもこちらでも見せて頂く思いがあった一年でした。これが、私にとって、最後の金沢元町教会のクリスマスであり、最後の年度であるかと思うと、後ろ髪引かれる思いがいたします。これから、いよいよ神さまの御業を皆さんと一緒に見られたら、どんなに素敵なことだろうかと、惜しむ気持ちでいっぱいです。けれどもまた、遠くから、その後の教会の歩みを聴くのが楽しみでもあります。これからどんな奇跡がこの教会で起き続けていくのか、本当に楽しみです。

 私は、この7年間で、自分がすごく変えられたと思います。シンプルに言えば、母教会での信徒時代に持っていたようなパイエティーが回復されました。全く同じものではありませんが、やはり、パイエティーと表現したいものです。私は信仰には疑いがつきものであり、疑いなんてどうということはない、神さまがいるかいないかわからないと思っていたって少しも構わない。大切なのは私たちの信仰ではなく、キリストの誠実だと、今でも信じております。その意味では、自分の疑いや、不信仰は、それほど重視しません。けれども、自分の今の信仰の姿勢を振り返ると、かなりシンプル素朴になっていることに気付かされます。神さまが生きて働いておられると、素朴に実感しています。人間の実感など怪しいもので、未来永劫、同じように言えるかは不確実ですが、今現在は、本当にそう感じています。何度も何度も疑いに苛まれても、思いもかけない角度から、神さまの生きておられるしるしを何度も見せて頂き、乗り越えてました。何と言うか、私はこの教会で、神さまが今ここでありありと生きておられる方であることを、神学としてではなくて、自分の経験として、体験させて頂いたのだと感じています。あと、僅か三か月ですが、2024年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

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