牧師室だよりNo.75

2023.5.7

新しい礼拝式順の解説を続けています。

今日は、「悔い改め」の部分です。十戒、司式者による祈り、賛美の要素から成り立っています。

特に十戒の採用によって、三要文と呼ばれる教会の大切な文章の全てに礼拝の中で触れることになります。プロテスタント教会は十戒を重んじ、その三つの用法を意識しますが、ここでは第二用法「人に罪を自覚させ、キリストへと導く」ものとしての十戒の働きが意識されています。この部分で十戒を唱えるのは、「悔い改め」の表題通り、十戒の言葉に照らされて神の御前に自分の罪を自覚し、告白するためです。

宗教改革によってプロテスタント教会からは告解(懺悔)が消えたと思っている人があるかもしれませんが、むしろ、年に一回すれば良いと考えられていた告解を、毎週の礼拝で行おうとしたのです。

カルヴァンは毎週の礼拝の中で十戒を唱えるとき、戒めが一つ読まれる度に、「キリエ・エレイソン」(主よ、憐れみたまえ)と祈るように求めました。私たちは十戒の言葉を読むごとにキリエは祈りません。代わりに、続く司式者の祈りを、罪の悔い改めの祈りとして捧げます。

司式者は、個人の祈りではなく、教会の祈りとして悔い改めの祈りをします。だから、主語は、「私」でがなく、「私たち」となります。そこでは、生活の中で出会う罪を告白しますが、それだけでなく、もっと大きな広がりの中で、罪を告白することも大切にします。たとえば、ロシアの教会の罪を、公同教会に連なる自分たちの罪として、自分たちの悔い改めの祈りとして祈ることもふさわしいことです。

また、この部分の祈りには、古くからエピクレーシスと呼ばれる祈り、「聖霊の照明を求める祈り」も含ませます。聖霊の導きがなければ、御前に告白した罪に向かって語られる神の赦しの言葉を語ることも、聴くこともできないという信仰に基づき、説教者と聴衆を聖霊によって照らしてくださいと祈ります。

続く讃美は、聖霊を賛美する歌、御言葉を待つ歌、あるいは、教会暦にそう賛美を歌います。十戒が増えると礼拝が長くなるのではと心配される方があるかもしれませんが、交読文が無くなったことと、賛美を一曲減らしたことにより、むしろ礼拝時間は、コロナ前の式順よりわずかに短くなっていると思います。

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