牧師室だより No.37  20.5.17

牧師室だよりNo.37

 教会連絡網で回しましたが、家庭礼拝推奨をしばらく継続することとなりました。それぞれのご家庭での礼拝の捧げ方も、慣れた形が出来上がってきた頃でしょう。もうしばらく、今の形で辛抱して頂くことになります。

 

 教会とは、元の言葉でエクレシアと呼ばれ、これは元々「集会」、「人々の集まり」という意味ですから、同じ場所に集まることは、教会の本質に関わることです。洗礼式も、正式には、洗礼入会式と呼ばれます。教会から切り離された個人として、信仰生活を送ることはできません。そうなると、いくらインターネットが普及しても、そこで説教を聞いているだけでは、信仰生活を送ることはできないことになります。第一聖餐に与れません。

 

 しかし、その一方で、私たちの信仰においては、個人が極めて重んじられる側面もあります。すべての信仰者は、神さまの御前に一人立つのです。「信仰継承」という言葉を嫌う牧師もいます(私はそれほど否定的ではありませんが)。信仰は財産のように子どもには継承できない。一人一人の人間が、新しく神様と人格的に出会わなければならないからです。

 

 今のような状況は、この神さまの御前に一人立つことを学び直す機会かもしれません。礼拝の時間の前後に、仲間との交わりを持つことができるわけでもないので、自分が何のために日曜毎に会堂に集い、礼拝をしていたのかいよいよ明らかになってしまいます。消息を尋ね合う交わりに行きつつも、たとえ、一週間、礼拝の時間を持たなくても、誰にも分らないのです。しかし、そこで、そのような私たち一人一人が、神の御前になお置かれていることも明らかになるのです。そのリアリティーから、もう一度、私たちの礼拝の姿勢が建て直されることになるに違いありません。

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