先月は、この欄を報告に用いたので、約二か月ぶりの牧師室だよりとなります。いつもより一週早いですが、数日前、ハイデルベルク信仰問答の翻訳者として知られ、また現在は、神戸改革派神学校の校長をしておられる吉田隆先生が、同校ホームページに、時宜を得たウィルス禍の神学的考察として、ペスト流行時のルターの文章を引用していたのをご紹介したいと思い、パソコンに向かいました。ペストが猛威を振るう中、ルターは、牧師をはじめ、行政の責任を持つ者は、病が流行しても、なるべく任地に踏みとどまることを勧めつつ、しかし、次のような実際的な対処をないがしろにすることはなかったと言います。以下は、ルターの言葉です。
「私はまず神がお守りくださるようにと祈る。そうして後、私は消毒をし、空気を入れ替え、薬を用意し、それを用いる。行く必要のない場所や人を避けて、自ら感染したり他者に移したりしないようにする。私の不注意で、彼らの死を招かないためである….しかし、もし隣人が私を必要とするならば、私はどの場所も人も避けることなく、喜んで赴く。」(M.ルター「死の災禍から逃れるべきか」より。)
ドイツメルケル首相の呼びかけの言葉と共に、信仰と蛮勇は違うということがよくわかる文章だと思います。キリスト者の行動原理は、信仰ゆえの隣人愛です。自分の信仰の満足のみを求めることではありません。ここでも、パウロの次の言葉を思い起こすことができます。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中でも最も大いなるものは、愛である。」
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