週報にも記載しましたが、西日本で起きた豪雨の被害状況が、明らかになってきました。雨の被害でこんなことが起こるだろうかと思うほどの、多くの方の命が失われました。家を失われた方、家が水にかぶって避難生活を余儀なくされている方が、たくさんいらっしゃることが連日報道されています。
私たちの属する日本基督教団でも、そのホームページで、募金の呼びかけを始めました。私たちの教会でも近々、その取り組みに参加することになるでしょう。
私の友人や知り合いにも、ニュースになっているまさにその地に住んでいる者がいくにんかいます。無事だったり、実際に住居が床上浸水し、牧師館に住めず、会堂に一家で寝泊まりしたり、メールや電話でやりとりし、状況を聞きました。
ある方は、大雨が降る夜中、ほんの数時間後には氾濫することになった川に架かる橋を歩いて渡り、お父様の安否を確認しに行ったという話を聞きました。共通の友人は、本当に危ないことをしたけれど、二人とも無事で良かったと胸を撫で下ろしていました。
ニュースでは若者がジェットスキーを出し、取り残されていた人を、救助して回ったと報道しました。インタビューに答えて、電線が切れていて、感電するかもしれないと思ったけれど、死んでも良いからやらなければならないと覚悟したと、語ってらっしゃいました。
そういう話を聞きながら、先週共に聞きました嵐の中の主イエスと弟子たち一行の姿を思い起こしていました。主イエスと弟子達もまた、使命を帯びて、嵐の湖を渡りました。弟子たちは、命の危機を乗り越えて、主イエスの言葉が指し示す地にやってまいりました。二人の人に会うためです。
嵐の湖を渡り、主イエスと弟子たちが来られたのは、ガダラ人の地方でした。ガダラという町は、当時デカポリスと呼ばれる10の町で構成された都市連盟のひとつで、ローマ帝国に従属する立場にありながらも、ギリシア風の生活スタイルを守る、ある程度の自治が認められた異邦人の町であったと言います。
つまり、主イエスが弟子たちと共に嵐を越えてまで渡ってきた場所というのは、自分たちの同族の町ではなかったということです。
主イエスを先頭にした弟子たちが、命の危険を冒して渡った行く先は、生まれ故郷でも、親戚の元でもなく、全く見知らぬ外国人の元であったということです。
私たちは、年老いた親のために、危険を顧みず、今にも氾濫しそうな川に架かる橋を渡るという行動を、理解することは、できると思います。
また、自分の生まれ故郷、自分の深く結ばれた地域の人々のために、一肌脱ごうというのも、自分がやるかやらないかは別としてこれもわかる部分があります。
けれども、主イエスとその弟子たちが、命の危険を侵してまでやってきたところが、縁もゆかりもない土地だったというのは、やはり、驚かされます。
知らない人のため、しかも、今日の物語においては、直接的には悪霊に憑りつかれ、人に迷惑をかけていたような、たった二人の人のために、全てのことは起きたのです。
けれども、私たちはそんな人の姿を全く知らないわけではありません。たとえば、その姿は、百数十年前、日本にやってきた宣教師達の姿に重なるものがあります。
先日、私たちの教会で学びの時を提供くださった梅染信夫先生が『トマス・ウィン宣教師』というウィン宣教師の伝記と説教を載せた本を出版され、私たちの教会にも一冊寄贈してくださいました。
まだ全体を読んではいませんが、説教準備の合間に、気分転換にぱらぱらとめくりながら、北陸学院の楠本先生が書いた序文に目が留まりました。
そこでは、ウィン宣教師の働きには、いくつもの特徴が見られるが、その第一のものは何と言っても、「その熱い志」だと言います。
当時、京都から先は鉄道がなく、北陸は閉ざされた土地でした。そこに福音を伝えるために、はるばると太平洋を渡り、さらに日本海側にやってこられた。
時代は、キリシタン禁教の高札が撤去されて数年しか経っていない頃です。しかも、それは、外国からの圧力によってしぶしぶ撤去されたもので、キリスト教を警戒し、拒否する雰囲気はまだ色濃かったのです。
その上、浄土真宗が根付いていた北陸は、当時、明治政府の主導した、神道中心、廃仏毀釈の嵐によって、自分たちの信仰が脅かされ、不安といら立ちを覚えていました。そこに得体のしれない外国人がやってきて、キリスト教を広めようというのだから、やり場のない怒りは、キリスト教に向かい、宣教師には、今日はかり知ることのできない困難が待ち受けていたのだと言います。そういう土地に自ら進んで、宣教師たちはやってきたのです。
またその旅程も単純に厳しいものでした。梅染先生は、ウィン夫妻が金沢入りした時の状況を次のように書きます。
「ウィン夫妻をはじめ、もう一つのグループの人々は、三菱汽船の2,000トンの大型の蒸気船に乗って敦賀から金石まで渡ったのだが、船が不運にも暴風雨に遭った。そのいわば”海難”による被害はウィン夫妻にとって甚大なものであった。トマスは伝道用の『トラクト』(tract)などを失った。二人の衣類も飛ばされた。その他、彼ら夫婦の結婚記念品など、多くの大切なものが吹き飛ばされてしまった。さらに、金石の港にたどり着いた後も、彼らは海辺近くで三日間も待たされ、上陸できなかった。」
自分達を待ってくれている者のためではなく、疑いと拒否の目を向ける者たちの所にわざわざ命がけでやってきたのです。
そのようにして、金沢の伝道がはじまりました。そして、御承知のように、金沢教会が生まれ、元町教会の前身である殿町教会が生まれました。今ここにこの教会があり、私たちが、今日こうしてここで礼拝を捧げる者であるということは、この人たちの働きと一直線に繋がっているものです。私たちは一直線にその恩恵に与っています。
なぜ、宣教師たちが、自分には縁もゆかりもない土地に、文字通り、骨を埋める覚悟で、やってきたかと言えば、たとえば、その人たちが、今日共に聞いている聖書を読み、そこで主イエスの背中を知り、その背を見つめながら、歩んだからです。そのお方の背を見つめながら、彼らにとってのガダラの地である北陸まで来たのです。
彼らがその背中を見つめお従いし続けたキリストは、この福音書の冒頭で、罪の縄目とそれがもたらす滅びから御自分の民を救うために、世に来られたと言われるお方です。不特定多数の人々のためではなく、「御自分の民」のためです。
マタイという人がイエス・キリストは、ご自分の民の救い主であられると言う時、彼の念頭にあったのは、やはり、まずは血を分けた同族のためだったということです。それは、マタイによる福音書全編に渡って一貫している考え方だと言えます。
二つの例を挙げれば、まず、異邦人であるカナンの女に対する主イエスの言葉を思い起こすことができます。
そこには、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。」(マタイ15:24)という主イエスのお言葉が記録されています。
また、第二に、主イエスの使命を帯びて派遣される弟子に向かって、主が仰ったお言葉も思い起こされます。
「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」(マタイ10:5-6)
この二つの言葉は、実際に、世界で最初に生まれた教会が、ギリシア人の教会でもなく、ローマ人の教会でもなく、ユダヤ人の教会であったことと、真っ直ぐに結び付くことだと思います。使徒言行録を読めばわかりますが、祭司、律法学者を含んだユダヤ人が12弟子の宣教を聞き、悔い改めて洗礼を受け、キリスト者となったのです。この福音書を書いているマタイが所属している教会も、同じように、主イエスや12弟子と同じユダヤ人の教会であると言われます。
ところが、山上の説教を語り終え、いよいよ弟子と共に、御自分の使命を果たすため、嵐の湖へと漕ぎ出し、主イエスが目指された地は、ガダラ人の地、異郷の地、つまり、外国に行かれたと今日読んだ聖書は語っているのです。
これは、その伝道の場を外国に求めず、同胞が多く住む、ユダヤとガリラヤ地方を活動の中心とされた主イエスの歩みにおいては、イレギュラーなことだったと言うことができるかもしれません。
事実、このガダラ人の地での活動は、この出来事のみに限られます。私たちが今日読んだ個所の最後の言葉である34節の語る通り、町中の者たち、直訳すれば、「町全体」が、出てきて、出て行ってもらいたいと懇願されると、次の9:1では、「イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた」とある通りです。
ところがまた、マタイによる福音書において、ご復活の主は、この福音書の最後のところで、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と命じられます。だから、おそらく、このガダラの地での伝道は、ご復活の主によって命令されることになる地の果てまで、全ての民にもたらされる福音の報せの前味、先触れであったということでしょう。
この時点では、まだ完全に明らかではないけれど、既に、この小さなエピソードのような出来事においても、主イエスが救おうと見つめておられる「御自分の民」とは、私たちが、想像するような、縁とゆかりの範囲に留まるものではないということが伝わってまいります。
ユダヤ人の中にも、ガダラ人の中にも、日本人の中にも、地の果てにも、救われなければならない主の民、今は罪と滅びの虜になっているような「御自分の民」がいます。
主イエス一行が、上陸されると、悪霊につかれた二人の者が墓場から出てきます。墓場に住んでいたということは、二人についていた悪霊というものが、人を死に向かわせる力、滅びの力であるということです。彼らは、墓場から出てきて何をしようとしたのか?
行く道を通せんぼしようとしたと考えられます。墓場を住処にしていたこの二人は、いつもそこに引き籠っていたわけではありません。その付近の道を通ろうとする人がいると、墓場から出てきた乱暴を働くのです。そして、滅びの力が現実を、私たちの生を支配していることをわからせるのです。何もない健やかに見えるような人生のただ中に、触れることのできない領域、死の領域があることを、私たち人間に叩き込もうとするのです。
だから、悪霊につかれたこの二人は、自分たちのテリトリーに侵入した主イエス一行の道をも塞ごうと、いつものように墓場から出てきたのだと言えます。
私たちの道を塞ごうとする力があります。主イエス一行が出くわした悪霊につかれた二人の者、墓場に住む二人の悪霊つきのような存在です。人々の日常の中に突如として現れ、そこから先に進ませなくする力です。
そういう私たち人間の道を塞ぐ力、滅びの力に私たちも出会うことがあります。私たちが、神が与えてくださる人生の使命に生きようと進んでいくのを邪魔するように見える力です。それは、弟子たちが湖で体験した嵐のような自然災害の力であるかもしれませんし、道を塞ぎに来る悪霊に取りつかれたような何者かもしれません。
私たちはもしかしたら、そういう力に出会う時、信仰なんて弱いものだと思いしらされるということがあるかもしれません。滅びの力の前では、信仰はそれに打ち勝つ力というよりも、せいぜい精神的な逃げ場だと思う程度かもしれません。確かに、私たちの信仰は滅びの力に出会う時、すぐ、疑いが入り込んでくるほど弱いものです。
ところが、今日の聖書の物語は、その時、私たちの目の前に立ちふさがる滅びの力の方は、既に、顔面蒼白になっていると語っているのです。
「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」
滅びの力は、今の時代は自分たちの時間だと思い高ぶっています。命ではなく死、神の秩序ではなく、滅びの秩序が支配することを許可された時間だと思い込んでいます。
確かに私たちの生きる世界の時間というのは、そういう時代に見えるかもしれません。
けれども、いつものように猛威を振るおうとやってきた悪霊たちは、思いがけず自分たちが支配していると思い込んでいた地上で、主イエスに出会います。
すると、滅びの力は動揺し、たじろぎます。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではない。」
その時とは、終わりの時のことでしょう。悪霊たちは、自分たちの力が天下を取る時代はまだまだ続くと思っていたのです。しかし、そこに突然綻びが生じます。主イエスが来られたのです。
主イエスに出会うと、悪霊たちは、まだまだ、来ないと思っていた自分たちの支配の終わりが、ぽっかりと口を開けて、自分たちを飲み込もうとしていることに気付き恐れるのです。
これは、私たちが、滅びの力に面した時の恐れが、そのまま滅びの力自身に再現されているような記述であると思います。突然、主イエスを前にした悪霊は、思いがけない死を目の前にした人間のように、慌てふためくのです。
悪霊どもの方が主イエスの力を知っているのです。私たちが、恐れている滅びの力、私たちを狼狽させる滅びの力よりも、主イエスの方がずっと強いことを滅びの力自身はよく知っているのです。私たちの信仰は弱いかもしれませんが、私たちの主は強いのです。
悪霊たちは、なお、生き延びることを望みました。そこで、主イエスに願い出ます。もしも、自分たちを追い出すつもりならば、町のはずれで餌を漁っている豚の群れの中に送ってほしいと。悪霊たちは、豚に入ってまで、生き延びようとしたのです。
主イエスは「行け」とお命じになりました。
ところが、悪霊たちにとって、全く思いがけないことが起こりました。
主が「行け」とお命じになると、悪霊たちは豚の群れの中に逃げて行きました。すると、豚の群れはみな崖を下って湖に流れ込んで、水の中で死んでしまったのです。
私は、今日のための説教準備をするまで、これこそが悪霊の力だと思っていました。この出来事は、豚の群れを狂わせ、滅ぼしてしまう恐ろしい力を悪霊が持っている証拠だと。二人の人間から追い出された腹いせに豚の群れを滅ぼしたのだろう。そしてこの悪霊は、再び、なお、終わりが来るまでの自分たちの時代を謳歌するために、取り憑りつく宿を改めて探すのだろうと。
ところが、ある人は、この32節の記述のギリシア語の文法に注目します。
32節の後半「豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ」という文章には二つの動詞があります。「なだれ込む」という動詞と、「死んだ」という動詞です。
少しややこしいことを言いますが、ギリシア語という言葉は、主語を書かなくても、動詞の形で、誰が、その動作を行ったかがある程度、わかります。
主語を書かなくても、動詞の語尾変化で、一人称か、二人称か、三人称か、また、単数か、複数かわかります。
ところが、この二つの動詞を含む32節後半の一文は、変わった書き方がされています。「なだれ込む」という動詞は、三人称の単数で「それはなだれ込む」、「死んだ」という動詞は、三人称の複数「それらは死んだ」と表現されています。
豚の群れは、一つの群れとして単数で表現されているんです。一つの群れが、湖の中になだれ込んだと表現されている。ところが、その死を語る言葉は、複数になっている。つまり、豚の群れが死んだだけでなく、悪霊までもがおぼれ死んでしまっただから、わざわざ複数形で、「それらは死んだ」と書かれているのです。
悪霊達にとってそれは本当に思いがけないことであったと思います。追い出されも、また、次の誰かに憑りつけば住むことだと思っていたのに、豚と一緒に死んでしまった。悪霊ですから、自分たちが滅びてしまうなんて思いもよらなかったはずです。ところが、主イエスというお方は悪霊を追い出すどころか滅ぼしてしまうお方なのだと聖書は語るのです。
つまり、主イエスにおいて、終わりの時がはじまっているのです。悪霊の支配の終わりの時、滅び自身の滅びの時、人間が滅びの力から解放される時が、主イエスの到来と共に既に幕を開けたと告げているのです。
この出来事を見た豚飼いたちは驚き、町に行って一部始終を、特に、悪霊につかれた者達が今はすっかりよくなったことを町の人々に告げました。
すると、34節、事の次第を聞き、町中の者が主イエスに会おうとしてやってきました。
人々は、まるで領主を迎えるように、町を挙げて主イエスに会いに出てきました。
ところが、この人たちは、主イエスに出て行ってほしいと懇願するのです。日常の生活を滞らせていたような悪霊を滅ぼしてくださったのだから、その恩恵に与る者として主を大歓迎してもいいはずなのに、主イエスにお引き取りを願いました。
これは、私たちを困惑させる反応ですが、いくつかの可能性が考えられています。
まず、主イエスがその土地の主要産業である豚の飼育に打撃を与えたからだと説明する人がいます。経済的な不利益を受けることをこれ以上願い下げたいと主イエスにお引き取り願ったというのです。
またある者は、主イエスのことが怖くなったからではないかと言います。悪霊を追い出せるのは、悪霊のボスだと思ったのではないかと言います。
またある者は、むしろ、その恐れは、神の人である主イエスの前に、自分の汚れを恐れたと言う者もいます。それはちょうど、主イエスに漁をするよう命じられたペトロが、網がちぎれるばかりの大漁に出くわしたとき、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」(ルカ5:8)と言った言葉と、同じ種類の言葉だと読むこともできます。
しかし、やはり、どちらかと言えば、これは、丁重な態度であるけれども、主イエスと自分たちの関りを断ち、今まで通り、無関係に生きることを求めた言葉だと理解する方に、多くの人の解釈は傾いているようです。多分、それが妥当な読み方なのだろうと思います。
主イエスは、町中の者の懇願を聞き、ガダラの町から出ていかれました。そして、福音書は、主イエスがその地を再び訪れたという記録を残していません。
その点、ここに浮き彫りにされる主イエスの心は、迫害されても、侮辱されても、縁もゆかりもない土地に留まり続けたトマス・ウィンのような宣教師とは、異なったものと思うかもしれません。
主イエスは、ある時に、「聞く耳がある者は聞きなさい」(マルコ4:9)という印象深い言葉をお語りになりました。その言葉に耳を傾けようとしない者の地では、足の埃すら払い落として、出て行くように、弟子たちに求められました。このガダラの出来事はその実例であったと読むこともできるかもしれません。受け入れられなければ、主イエスは説得が終わるまで留まるということをせず、次の地へ次の地へ、主イエスは歩みを進められるのです。そういう切り替えは早いように見えます。
ところが、福音書を読む者が知ることになるのは、この主イエスは次のところ、次の所で、どんどん追いやられて行かれたということです。
9:1で、帰って行かれたと言われるご自分の町は、決してホームタウンと呼べるような場所ではなかったのです。そこでも、やがて、主は全ての者から拒否されるのです。
ガダラの人に拒否され、ご自分の故郷とその同族にも拒否され、主イエスというお方は、「枕するところもない」方でした。
しかも、その方は、ご自分の横たわる場所もないどころか、やがて、その立つ場所すら地上には与えられず、お前には、地上に、土地の一片たりとも与えないという世界からの排除の象徴であり、神の呪いの象徴である十字架に架けられたのです。
けれども、その十字架こそが、悪霊とそれに支配されて行動する人間の意図を越えて、死の力を骨抜きにし、悪霊を縛り上げ、御自分の民でありながら、主イエスの話を聞かず、迎え入れず、裏切り、まさにその十字架に追いやった人間を罪と滅びから救うための出来事でありました。この十字架と復活こそ、滅びの力に対する神の決定的な一撃であったのです。
ある説教者は言います。人間を抑えつけるこの死の力を滅ぼすために、主イエスが最終的に払われた代価は、豚2000匹の命どころではなかった。
私たちの前に立ちはだかり、私たちがその先に進むことを足止めし、拒否する死の力を滅ぼすために、主イエスの十字架が立ったのだと。
ただガダラの二人の人だけを救い、あとは、彼らの拒否するままに、自業自得に任せて、滅びの力にその者たちを委ねたのではなく、その人間のために、主は十字架に赴かれたのです。自分の方から、あなたとは縁もゆかりもないという人間のために、主は十字架で、その者たちを縛る滅びに致命傷を与えられたのです。その者たちをご自分の民として主が数えられているからです。
嵐の中を突き進んでやってきた宣教師たちの旅が、この町の人々の最初の拒否にもかかわらず、今日ここにおける教会、今日この場の礼拝、時を同じくして、金沢中で、日本中で、行われている礼拝として実を結んでいるのは、ガダラの地という異郷の地、イスラエルの民とは、縁もゆかりもない外国での主イエスの働きが、彼らの拒否によって途切れてしまわず、むしろ、その人間のために、主イエスが、十字架へと真っ直ぐに、歩み続けてくださったからです。
そのことがわかると、この物語と十字架と、宣教師たちの旅と、私たちが今ここにあるということは、全く一続きのことであることがわかります。
私たち人間は、二人の人の身に起きたように、既に、悪霊の支配の元にはなく、生きる時も、死ぬ時も、主の者となりきっている。主の十字架と復活が起きて以来、地の果てに至るまで、これが、私たち人間の最終的な現実になっている。
ある人は次のような趣旨のことを言います。だから、私たちは滅びの力に勝つ。たとえ、ここで負けても勝つ。私たちが死ぬ時も、神の手は私たちを離さないからだ。それが、今日の出来事が語る人間の置かれている事実だと言います。
私たちの人生の道もまた、主イエスが先頭に立って突き進んでくださる世の終わり、主が完全に勝利してくださるその日に続く一本の道なのです。
途中で途切れてしまったように見える道も、曲がって行ってしまったように見える道も、塞がれた道も、今日のみ言葉を読むならば、主イエスがご自身のものとして引き受けてくださった道です。十字架と復活、そして、再臨に至るまでの一本の道であることがわかります。
考えてみれば、主イエスは、二人の悪霊つきにわざわざ会いに行かれたのです。その人間を解放し、悪霊を滅ぼすためです。私たちの歩みが墓地に至る所でこそ、主は出会ってくださいます。嵐の海を越えて、主はそこに辿り着いてくださいます。
その道はもう一度申しますが、十字架に至る道でした。けれども、キリストが滅びの力に負けたと思われたその十字架こそが、滅びの力を滅ぼす、甦りに至る主の十字架であったのです。
そうであれば、私たちはその道が塞がれたと見える時も、悲観することはありません。明るい顔で生きることができるのです。主イエスのお甦りのゆえに、私たちは、墓に入ってもなお、勝利者として生きるからです。
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