恐れるな

12月19日 ルカによる福音書2章8節-21節

今日ここにお集まりの方々にも、家庭でネット礼拝に繋いでいらっしゃる方々にも、クリスマスのご挨拶をお送りいたします。クリスマスおめでとうございます。

 

この一年を振り返るならば、今日こうして、顔と顔とを合わせながら、多くの方々と共に、クリスマスを記念して、主の日の礼拝を捧げることができることは決して当たり前のことではないことをしみじみと思わされます。まだ、完全に元の形でクリスマスを祝うことはできません。

 

今日は礼拝堂の座席が少し増え、より多くの人たちと一所で顔を合わせることはできます。礼拝後には、2年ぶりに集合写真を撮ることもできます。

 

しかし、階下でのクリスマス祝会を楽しむことはできません。教会学校の子どもたちの出し物、有志による賛美や、楽器演奏、持ち寄ったおいしい食事を頂きながらの、楽しい祝会を祝うことはできません。

 

しかしまた、このような経験を通してこそ、クリスマスの強さ、クリスマスの本当の意義を、知ることができるのではないかと思います。

 

最初のクリスマスの喜びは、ごちそうが並んだ温かい部屋の中ではなく、羊飼いたちが羊の群れの番をしていた暗い夜の屋外にもたらされたのです。

 

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

 

これがクリスマスの音信です。クリスマスの祝いの喜びは、すべてこの報せに凝縮しています。

 

羊飼いは天使によって、猛獣の潜む暗闇の中で、この知らせを聞くことが許されました。「これは、民全体に与えられる大きな喜びの報せだ」と。

 

なぜ、羊飼いがこの知らせを最初に聞く者たちとなったのでしょうか?一つには、羊飼いは、ユダヤの民にとって特別な職業であったからと考えられることがあります。

 

イスラエル王国の偉大な王ダビデは、元々は羊飼いでありましたし、また、神と人間の関係はしばしば羊飼いと羊の関係にたとえられる伝統が聖書にはあります。

 

やがて、この時生まれた幼子キリストもまた、教会によって大牧者と呼ばれるようになります。その意味で聖書は、神は、羊飼いを親しく思っておられる。それゆえ、救い主誕生の知らせはまず、羊飼いに知らされたと説明されることがあります。

 

しかし、それとは異なり、もしも、救い主の誕生を最初に聞くことができるのにふさわしい人がいるならば、それは、決して羊飼いではありえなかったろうと考える人もいます。

 

夜通し番をして、狼や、野犬の群れから羊の群れを守るだけではありません。その地方の野には、熊やライオンという本物の猛獣もいました。

 

常に命の危険と隣り合わせの激しい過酷な労働です。そのような職業はやはり、人々から蔑まれた所があったと言います。家に住まないで野宿を続ける。獣たちと一緒に生き、体にはすっかり獣の匂いが沁み込んでいる。

 

軽蔑される職業に就く人の中にしばしば見受けられるように、彼らの内の多くはならず者だと見なされることもよくあったようです。羊飼いと言えば、うそつきの代名詞とされていたようだと言う人もあります。ひどい差別の対象とされたと言うのです。

 

けれども、救い主誕生の知らせは、このような光の当たらない羊飼いの生活の、その夜にもたらされました。

 

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

 

民全体に告げられる大きな喜び。多くの人にとっての喜びの知らせ。

 

けれども、考えてみれば、私たちは、多くの人々が祝いの喜びに沸いている中で、自分だけが不幸であると、いよいよ孤独を増していくものです。それが民全体に告げられるというような、大勢の人々を巻き込む大きな喜びの知らせであればるほど、まるで自分だけはそこから外れてしまっているような、自分だけは、そこから除外されているような、思いになってしまうことがあります。

 

いつも、そんな思いにならなければならない人たちがいるとするならば、それは、羊飼いたちであったということができるかもしれません。

 

クリスマスの喜びは、多くの人々が、家族に囲まれ、温かい部屋で過ごす場所に最初にもたらされたものではなく、野宿しながら、夜通し働く、日陰者に告げられました。

 

だから、クリスマスの大きな喜びが与えられる民全体とは、多くの者という意味ではなく、多くの者という括りの中からいつでもはみ出してしまう人たちから始まり、全ての者へという意味であると言えます。

 

この日本では、キリスト者はとても少ないというのは、改めて言うまでもないことです。クリスマスの礼拝に集う者も、クリスマスイブの礼拝に集う者も、それほど多くはありません。

 

それにも関わらず、町はクリスマスムード一色です。私たち教会がクリスマスに備えるアドベントを過ごし始める何日も前から、クリスマスの飾りに彩られます。

 

私たちキリスト者は時折、あれは本物のクリスマスではないと、苦々しい思いで受け止めることがあります。クリスマスがキリストの誕生日であるということを、少しも意識しない浮かれ騒いでいるその光景は、偽物だと言いたくなるのです。

 

けれども、私は、多くの者が、クリスマスを喜び楽しむ姿は、完全なものではないかもしれませんが、天使のもたらした報せの実現の始まりであると私たち教会が、見て良いのではないかと、最近、思うようになりました。

 

この季節に家を一生懸命にイルミネーションで飾る家族の姿は、天使が羊飼いに告げたすべての民への大きな喜びの知らせが、あのユダヤの野から遠く遠く離れたこの地の民全体のためのものであることのしるしだとどうして見てはいけないか?と、最近、思うようになりました。

 

この大きな喜びの知らせは、この知らせを今、真正面から受け取り、真正面から応答した者にとってだけ意味のある喜びの知らせであるわけではなく、その知らせを正しく受け取り損ねている者、今のところはまだ、真っ直ぐに聴いたことのない者たちにとっても、それらすべての人に関りのある良き知らせだと私たち教会は信じているのだから、そう受け取って良いと思うのです。

 

クリスマスは、教会が独占するものではなく、みんなのクリスマスだと思うのです。

 

私は、今年、ショッピングモールを歩いていて、最近クリスマスの飾りが、飛躍的にそのクオリティーを上げていることに、気が付きました。

 

単にイルミネーションや、サンタさんの人形が、取り扱われているのだけではありません。キリストのご降誕の様子をかたどったネイティビティーや、アドベントカレンダーまで売られているのです。

 

私たち日本の教会でもあまり知られてはいないクリスマスピラミッドや、ヘルンフートの星と呼ばれるドイツの伝統的なクリスマスの飾りまで扱われ始めているのです。

 

私たち日本人にとって、ここ一、二年で、目にするようになってきたクリスマスピラミッド、ヘルンフートの星だけでなく、アドベントカレンダーや、ネイティビティーというものすら、余り馴染みがなかったものです。教会でさえ、それらすべてに馴染みがあるわけではありません。しかし、そういうものまで、一般のお店で取り扱われるようになりつつあります。

 

場合によっては、そういうもので飾られた町のクリスマスの飾りというのは、けばけばしく派手なものではなくて、ヨーロッパの伝統的なクリスマスの飾りつけがそのまま再現されて、私たちキリスト者の目をも楽しませてくれるものになりつつあると感じています。

 

だから私は、教会が、町のクリスマスの姿を、ストイックに批判するのではなくて、神様に感謝して一緒に喜んだらいいと思うのです。神がくださった皆の喜びの出来事です。本当は、この知らせを受け取るのにだれ一人ふさわしくない、ただ一方的な恵みとして、全ての人のために神がお与えくださった喜びを祝う日なのだと、受け止めて良いと思うのです。

 

サンタクロースも同じです。クリスマスにサンタクロースがイエス様以上に目立ってしまっていることは、サンタクロースにとっても不本意であると思いますが、むしろ、教会が、同じ喜びに仕える仲間として、受け取り直してよいと思います。

 

先日牧師たちの学びのグループの中で、こんな話題が出ました。いつもクリスマス礼拝の時は、礼拝が終わるとすぐに、サンタクロースが、会堂の中に入ってくる。クリスマス礼拝の静かな余韻に浸る間もなく、お楽しみ会になってしまう。教会のクリスマスが本当にこれで良いのだろうか?

 

けれども、隠退された先輩牧師はこう言いました。確かに礼拝の続きとして始まってしまうとしたら良くないかもしれないね。けれども、礼拝をきちんと終えてから、少し、5分でも10分でも時間をおいて、トイレ休憩でも取ってから、始める分には少しも構わないのじゃないか?子どもたちはサンタクロースが好きだからね。

 

私はその話を聞きながら、あることを思い出していました。みなさんは御存じであるかどうか?日本で最初のサンタクロースというのは、この金沢元町教会の第5代牧師である戸田忠厚という牧師が、務めたんだよなと思い出していました。

 

この戸田という人がまだ牧師ではなかった時代、東京にあった第一長老教会で、日本のプロテスタント教会最初の日本人の手によるクリスマス会が催されました。

 

1874年、明治7年のことです。宣教師の開いた築地大学校の学生たちを中心としたクリスマス祝会でその日の呼び物がサンタクロースでした。そこにいた多くの学生たち、中には既に洗礼を受けた者も多かったようですが、まだ誰もサンタクロースというものを知らなかったし、それがクリスマスとどういう関係があるかも知りませんでした。

 

そのような中で、サンタクロースの大役を仰せつかったのが、まだ学生であった戸田であり、そのいでたちというのは、裃を着て、大小の刀を腰に差し、白い髭の翁面をつけ、大きな靴を履いた姿であったと言います。

 

裃を着た日本的サンタクロースは後にも先にもこの時だけだったと、ある人は述懐していますが、当時の教会員、学生たちは、大いに満足したと言います。その騒ぎを聞きつけて、集まった近隣の人たちにも、大きな話題になりました。それから毎年行われるようになった第一長老教会のクリスマス祝会は、東京の名物の一つになったと言います。

 

裃を着た日本で最初のサンタクロースは、殿町教会で伝道した戸田忠厚、つまり、今の私たち金沢元町教会の牧師でありました。

 

裃を着て刀を差しているサンタクロースなどは、これが最初で最後でありました。サンタクロースを拝命した戸田自身も、サンタクロースの何たるかを理解していたかどうか。

 

けれども私は、彼がそれから数年後に、日本で最初の牧師の三人の内の一人となったということは、彼が本物のサンタクロースの仲間入りをしたのだと言って良いと思っています。

 

私は、自分の子どもたちに、サンタクロースはお父さんとお母さんの同業者だと紹介しています。

 

彼は、プレゼントによって、救い主イエスさまのお誕生の喜びを知らせ、私たちは言葉でそれを告げる。基本的には同じ仕事をしている。

 

けれども、ついでに言えば、お父さんは、同労のサンタクロースを少し気の毒に思っていて、何で世界中の子どもたちにプレゼントを配っているのか、その意味がうまく伝わっていないようだから、かわいそうだねと。

 

その点、お父さんは、サンタクロースに代わって、そのプレゼントには、イエス様がお生まれになった喜び、神さまが、私たちにその一人子をプレゼントしてくださった事のしるしだよって言葉ではっきり伝えられるから、ありがたい務めだと。

 

戸田青年が日本で初めてサンタクロースを務めた時、ただただクリスマス祝会の風変わりな余興に過ぎませんでした。しかし、やがて、この人は、日本人最初の牧師となり、その言葉ではっきりと、クリスマスに起きた大きな喜びの出来事を語るようになりました。

 

ただ言葉だけではありません。私は、日本で最初のサンタクロースになった戸田牧師は、金沢元町教会の第5代牧師になることによって、その存在そのもので、民全体に与えられた大きな喜びを伝える、本当の意味でのサンタクロースになったと思っています。

 

あまり一般には知られていないことかもしれませんが、明治時代の宣教の初期において、プロテスタント教会も殉教者を出しております。しかも、プロテスタント教会の殉教は、この金沢の地で起こりました。1883年、明治16年、東京から金沢伝道の応援に来ていた加藤敏行という人が、二人の暴漢に広坂通りで木刀で襲われて、その傷がもとで、数か月後に亡くなりました。将来を期待されていた青年であったと言います。

 

それから12年後、1905年、戸田忠厚牧師が、今の金沢元町教会の牧師として招聘されました。この日本最初のサンタクロースでもあった戸田牧師、実は、加藤敏行の兄でありました。弟の殉教した地で、伝道しようと志したのだと、言われています。

 

弟を殴り殺した町の人々に何を語りに来たのか?

 

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

 

この良き知らせでありました。恨みを言いに来たのではありません。仇を取ってやろうと来たのではありません。喜びの知らせを告げに来たのです。

 

「金沢の人たち、あなたのための喜び、あなたのための救い主、もう、恐れなくていいんだ、喜んでいいんだ。」

 

私は私の同業者であるサンタクロースを気の毒に思う点があります。それは、クリスマスの喜びは、良い子の所にしか来ないと、誤解されてしまっていることです。

 

救い主イエス・キリストの誕生の知らせは、良い子のためのものではありません。キリストの誕生がもたらす大きな喜びは、民全体のためのもの、それも、一番ふさわしくないだろうという者のもとにこそ、最初に告げられるものだからです。

 

まだ本気で探したわけではありませんが、残念ながら、戸田牧師の語った福音説教の言葉を、私たちは実際に読むことはできません。日本で最初の牧師の一人、日本で最初のサンタクロースであったということ以外で、歴史に名を遺すような方ではありませんでした。

 

けれども、この人の存在そのものが、私たちこの地に住む者に、イエス・キリストの誕生がもたらす良き知らせとは一体なんであるのか、よく語っているのではないでしょうか。

 

この民全体の救い主の誕生の喜びの知らせを真っ先に知らされた羊飼いたちは、「主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と、急いでベツレヘムに行きました。

 

不思議な星に導かれた東方の博士たちの物語とは違い、なぜ、彼らが幼子イエスのお生まれになった場所を探し当てることができたか、ルカ福音書が語ることはありません。

 

しかし、彼らは、見つけることができました。その方にお会いすることができました。

 

なぜならば、その幼子が羊飼いに門前払いをくらわす宮殿の中にではなく、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かせてあったからです。

 

どうして探し当てることができたのか?なぜ、民全体の救い主が、野宿する羊飼いたちとほとんど変わらないような家畜小屋の獣の匂いが沁みついた飼い葉桶の中に寝かされている姿を見て、救い主と知ることができたのか?

 

けれども、そうでなければ、決して羊飼いが救い主にお会いすることはできなかったのです。だから、こんな私たちを救ってくれる、こんな私たちと共にいてくださる本当の救い主とは、このようなお方のことだと、飼葉桶の中に寝かされる小さな幼子の前に進み出た時、心の底から悟らされたのではないかと思います。

 

この飼葉桶の幼子がもたらす大きな喜びから、自分が除外されるということは、二度と決して起こり得ないということ、それゆえに、この方こそが、天使の告げる通り、大きな大きな喜びの知らせであることが、よくわかったのではないかと思います。

 

大勢の人が共有している大きな喜びの中で、深い喪失、深い悲しみを一人抱えてしまうことがあります。この一年の間、大きな困難にぶつかった方、自分が家族が大きな病を得た方、愛する者を失った方、このクリスマスの祝いに集まることができたことを喜びながらも、その喪失のゆえに、どこか身の置き所のなさを感じている方があるかもしれません。

 

けれども、御子はにぎやかな光の中にではなく、粗末な馬小屋の中の飼い葉桶に寝かされており、天使は、人々から切り離された羊飼いが野宿する暗闇の中に、真っ先に現れたのです。

 

「恐れるな」と天使は語ります。あなたがどんなに罪深い者であっても、あなたがどんなに悲しむ者であっても、あなたのために救い主がお生まれになりました。神はあなたと共におられます。世の終わりまで共におられます。皆のクリスマスです。その喜びから、私たちを締め出すことのできる権威を持つもの、つまり、このおむつにくるまれた幼子からあなたを奪い取ることができるものは、天にも地にも、もう、どこにもいないのです。

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