小さな小さな教理の窓№9「正統、異端、カルト」②
異端とは、公同の教会の信仰の柵を乗り越えてしまった教え、団体のことです。しかし、異端=反社会的、非社会的カルト集団と直ぐに言うことはできません。 今、世間を騒がせている団体は、キリスト教系の異端ですが、彼らが世間を騒がせているのは、二ケア信条に反するからではなく、個人や家族を破壊する反社会的、非社会的ないわゆる「カルト宗教」だからです。カルトという用語の使われ方に厳密な定義はなく、使う人によって意味するところは異なるようです。常識的な感覚では、「マインドコントロールや、また、切っても切れない人間関係を構築した上で、自律的な思考を鈍くさせ、信仰者本人や、その隣人の心身や財産を脅かすような行動に駆り立てる教え」ということができるでしょうか。家族や友人が最近おかしな団体と付き合っているのではないかと思った時、判断の材料となるカルトの指標を何点か記してみます。字数が限られているので十分とは言えませんが、少しでもお役に立てばと思います。 ①団体の素性を隠して、伝道、勧誘活動を行っているか? 例)大学のテニスサークル→宗教、平和運動→宗教、お茶会→宗教。スポーツフェスティバル→宗教。 ②献金や奉仕にノルマがあり、その教えが説く救済の必要不可欠な条件となっているか? ③同信の者以外との付き合いを禁じたり、出席を義務付けられる多くの集会や、活動によって、実質的に、その団体外の人間関係が希薄になるよう仕向けているか? ④団体から出て行った信者との付き合いを禁じたり、出て行こうとする者を本人の意思に反して、しつこく慰留するような姿が見られるか? ⑤養育の義務を負う子ども、家族の教育や、医療行為等に、その団体独自の、一般的に普及していない変わった実践を強要する雰囲気はあるか? |
宗教団体に限らず、人間の集団というものは放っておけば、メンバーの中の立場の弱い者に、本人の意に反する過度な負担を強いることがありがちと思います(ブラック企業は、企業のカルト化と言えます)が、神の名において集まる団体は、その問題性に気付きにくかったり、問題が深刻化する危険性が常につきまといます。今回指摘したように、異端=カルトではないということは裏を返せば、正統教会もカルト化する可能性から自由ではないということです。教会もまた、教義的なチェックの他、カルト化のチェックもする必要があると思います。教勢の振るわない日本の教会にあって、私たちを誘惑する海外発の鳴り物入りの伝道の手法には、カルト宗教が直接用いているような人心掌握術がかなりグレーに使用されている場合があります。そのため、上のチェック項目を薄めたような形で、自分たちも気付かない内に徐々にカルト化する場合があります。あからさまにマインドコントロール的な伝道だけでなく、自己啓発の手法を使った教会形成理論も、思考停止をもたらし、カルト化の温床となります。結局、真の福音とは相いれないものを含んでいます。その意味では、異端=カルトではありませんが、カルト化=異端化であることは、間違いなく言えると思います。
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