小さな小さな教理の窓No.6

小さな小さな教理の窓№6「二ケア信条(原二ケア信条)」①

 使徒信条以外の四つの古代信条はカタカナ名です。これらは、アタナシオス信条を除いて、地名に基づくものです。今日取り上げます二ケア信条の名も、今のトルコにあった古代都市に由来します。ローマ帝国コンスタンティヌス帝によるキリスト教公認後、この町で開かれた初の教会公会議で採択された信条なので、この名が付きました。

 異教との決別を意図した洗礼信条である使徒信条と異なり、二ケア信条は、教会内に生じた異なる教えから教会を守るために生まれた信条です。その異なる教えとは、キリストをどのようなお方と告白するかを巡るものでした。初代教会は、旧約の唯一神教を継ぎながらも、キリストをも礼拝していました。そのため、神はただお一人であるのに、なぜ御子をも礼拝するのか、御子はどういう存在なのかという反省が自然になされるようになりました。アレクサンドリアの司祭であったアリウスは、「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何ごともできない」(ヨハネ5:19)などの聖書の言葉に基づき、御子を、御父よりも少し劣る存在と考えました。単純に言えば、アリウスは、御子は万物に先立って存在していた特別なお方だけれども、父なる神に造られた神とは異なる被造物に過ぎないと主張しました。このアリウスに対し、アレキサンドリアの司教アタナシオスが、御子は被造物ではなく、御父と「同一本質(ホモウシオス)」のお方であり、「子は永遠に神でありたもう」と反論しました。確かに御子は、「子」ですから、「父より生まれた方」と表現され得るのですが、その生まれに時間的始まりはなく、御父によって永遠に生まれた方なのだと主張されました。

 神はただお一人であり、御子は御父より生まれた方だということを、順を追って考えていくと、アリウスの見解の方がずっと論理的に見えます。「始まりなく父より永遠に生まれた方」というアタナシオスの言葉は、想像しがたく理解しがたいものです。けれども、教会はアタナシオスを支持し、その信仰を表現した二ケア信条を採択しました。なぜなら、アリウスが依拠したヨハネによる福音書にも見られるように、教会にとって御子キリストは、初めから「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハネ20:28)と拝まれる礼拝の対象であったからです。教理は理屈っぽく、頭でっかちなものだと誤解されることがありますが、事実は反対です。初代教会以来の御子への礼拝の実践と、そこで育まれた信仰のハートが教理の決定に重要な役割を果たしたのです。

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