小さな小さな教理の窓No.5

小さな小さな教理の窓 №5「使徒信条」

 もしかしたら、使徒信条については取り上げる必要はないかもしれません。他の四つの基本信条とは違い、礼拝の中で毎週告白している親しいものだからです。けれども、せっかくの機会ですから豆知識を含めて、少し触れておきたいと思います。

 使徒信条は、かつて12使徒に由来する信条と考えられ、その名が付きました。この告白を12部に分け、12使徒が一文ずつ伝えたとさえ考えられてきました。現在では、使徒自身に直接由来するものとは考えられていません。しかし、この信条が非常に古い起源を持つものであることも、知られています。完全に現代の形と同じものになり、受け入れられるのは8世紀、そして9世紀のカール大帝による典礼統一まで待たなければなりませんが(その意味では、基本信条の中で一番新しい信条だとも言えます)、しかし、その起源は2~3世紀の古ゲラシウス典礼、また4世紀の古ローマ信条という洗礼のための短い信条にまで遡るだろうと言われています。

 内容を細かく見る必要はありませんが、信条というものが異なる教えから、正しい信仰を守るために、生まれてくるものでもあるという点は、使徒信条にも当てはまるということは、知っておくと良いと思います。

 たとえば、「我は天地の造り主」という日本語訳での最初の告白は、物質世界を魂の牢獄と見なし、旧約の創造主を新約の神とは異なる悪神と考えるグノーシス派マニ教に釘をさす告白です。主なる神さまは、旧約と新約を貫く神様であり、魂だけでなく、体の造り主、天地の造り主であられるのです。

 また、「マリヤより生まれ」というキリスト告白は、「苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」という受難の告白と共に、イエス・キリストが、体を持ったお方であることを強調しています。神が死ぬはずがない。十字架で死んだように見えただけだという仮現説と呼ばれる、主が身体を取られたことを否定する異なる教えに対抗する告白です。これも、物質や、身体を軽視する異端に対する正しい信仰を擁護する言葉だと言えます。

 私たちにとって、非常になじみ深い使徒信条ですが、実は、東方正教会では、この信条を、正式に採用していません。使徒信条は、ガリア(フランス)、ゲルマン(ドイツ)を中心に、それから少し遅れてローマと、西方教会にゆるやかに広く受け入れられて行ったので、公会議を経ていないのです。しかし、東方教会では、その内容に異議があるということではありません。さらに、使徒信条について学びたいという方があれば、C.E.B.クランフィールド『使徒信条講解』(新教出版社1000円)か、竹森満佐一『正しい信仰―使徒信条―』(東神大パンフレット563円)、本城仰太『使徒信条の歴史』(教文館1980円)をお勧めします。

 

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