小さな小さな教理の窓No.4

小さな小さな教理の窓 №4「五つの古代信条・基本信条」

 前回、五つの古代信条の線に沿って、聖書を読んでいるかどうかが教会の大きな目じるしとなると書きました。これらは、基本信条とも呼ばれるキリスト教会にとって基本的なものなのです。これらを告白する教会は、教会の組織のあり方は違っても、礼拝の形も似ても似つかなくても、神さまの目にはきっと一つの教会として見て頂けるだろうと信じることができます。エキュメニカル(全教会的)な協力や一致の土台となるものです。にもかかわらず、「その五つは何?」と聴かれても、ほとんどの人は、使徒信条以外、答えることはできないだろうと思います。

 でも、安心してください。私を含めて、牧師でも日頃からこの五つの基本信条の言葉に実際に慣れ親しんでいる人は、ごく少数派でしょう。五つの信条の名前をすらすら言うことさえ危うく、「確か神学校でレポート書いたかも?」くらいの人も少なくないでしょう。

 だから、信徒が、全部の名前を覚えることは不可欠なことではありません。使徒信条と、もう一つ、非常に広い教会で重んじられている二ケア信条(二ケア・コンスタンティノポリス信条)の名前だけ弁えていれば十分でしょう。今日は、一応、五つ全ての名を以下に挙げておきます。

1.「使徒信条」

2.「原二ケア信条」

3.「二ケア信条」(二ケア・コンスタンティノポリス信条)

4.「カルケドン信条」

5.「アタナシオス信条」

 もう忘れてしまって構いません。かすかに聞いたことがあると言えれば、十分です。

 ただし、名称も実際の文言も記憶できずとも、それらが何を言っているかという、信仰告白の内容は大掴みに知っておくことは良いことです。もちろん、意識せずとも、礼拝説教は、この基本信条から外れてしまうことは、ほとんどありませんので、皆さんにとって少しも目新しい教えではありません。

 しかし、聖書を読む実践においては、知らず知らずの内に、自分の常識に従った自分なりの聖書の読み方の内に、そこからズレるということは、あり得るかもしれません。あるいは、自戒を込めて、神学教育を受けたはずの牧師の説教の内にも、案外、これとは異なる教えが入り込んでいることがあり得るものです。次回からは、五つの基本信条について、その内容をごく簡単にご紹介していきます。

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