小さな小さな教理の窓No.13

小さな小さな教理の窓№13「カルケドン信条」②

 

 カルケドン信条の本文をご紹介します。なお、カルケドン信条は、一般的には信条と呼ばれ、まさにその機能を果たすものですが、正式には信条(シンボルム)ではなく、信仰基準(デフィニティオ)と呼ぶべきもののようです。これが、二ケア・コンスタンティノポリス信条の正しい解釈を巡って開かれたカルケドン会議(451年)で採択された信仰告白の文章だからです。

 

聖なる教父たちに従い、われわれは皆、声を合わせて告白する。

われわれの主、イエス・キリストは、唯一同一の子なる方、神性と人性において完全、真の神にして真の人、理性的魂と肉体を持ち、神性において御父と同一の実体であり、人性においてわれわれと同一の実体であり、「罪を犯さなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様」であられる。

彼はその神性において、代々に先立って御父より出で、また、その人性において、時が満ちて、われわれのため、われわれの救いのために、神の母(テオトコス)、処女マリアより生まれたもうた。

この方こそ、唯一同一のキリスト、子なる方、主、そして独り子なる神としておいでのお方なのである。

この方は、混ざることなく、変わることなく、分かたれることなく、離されることもない二つの本性において知られる方である。

両本性の区別は、この合一によって決して廃棄されることはなく、むしろ各本性の固有性は保たれつつ、一つの人格(プロソーポン)、一つの実体(ヒュポスタシス)へと統合しているのである。

それは、まるでこの方が二つの人格(プロソーパ)に離されたり分かたれたりするようなことではなく、唯一同一の御子、独り子なる神、御言葉、イエス・キリストとしておいでになるということなのである。

このことは、預言者たちが最初から語ってきた通りであり、われわれの主イエス・キリストがわれわれに教えられた通りであり、教父たちの信条がわれわれに手渡されてきた通りのことである。

フスト・ゴンサレス『キリスト教思想史Ⅰ』より

 

この信条は、ニケア信条が御父と御子の「同一本質」(ホモウシオス)と告白した御父と御子の一体の告白を引き継ぎます。

さらに、カルケドン信条は、この御父と一体のキリストが、「人性においてはわれらと同質」(ホモウシオス)と、私たちと御子の一体を、原文では同じ言葉を用い、告白していることに驚かされます。

主イエスは、天の父と一体であるように、人間とも一体であられるのです。

しかも、今この時の主イエスのこととして、「真の神にして、同時に理性を有する霊魂と肉体から成る真の人間である。」と告白することにも心動かされます。

キリストの神性と人性の微妙な綾については、専門の神学者の説明に譲る他ありません。

しかし、少なくとも、私たちが神と拝むお方が、真の神であり続けながら、それにも関わらず、最初のクリスマスから今に至るまで、私たちとの、これほどまでの同質、一体に生きていてくださると教会が信じているということ、それが公同教会によって同意された聖書の使信であるという事実に、私たちも心打たれるのではないでしょうか?

神の徹底した憐み深さを、本当に深く告白するドラマチックな告白だと私には感じられます。

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