小さな小さな教理の窓No.10

小さな小さな教理の窓№10「ニケア・コンスタンティノポリス信条」①

二回の寄り道を終え、古代信条の紹介に戻ります。今週は、ニケア・コンスタンティノポリス信条です。前回学んだニケア信条と似た名前ですが、ニケア信条(325年)の信仰を引き継ぎ、さらにそれを明確にするため帝国の首都コンスタンティポリス(現在のイスタンブール)で開かれた教会公会議(381年)で採択された信条であるので、この長くまぎらわしい名が付きました。現在では、こちらの方を単純に「ニケア信条」と呼ぶことが一般的です。非常にメジャーな信条です。東方教会では、私たちにとっての使徒信条のように、礼拝の中でしばしば告白されます。

この信条の意義については、原ニケア信条の採択後も50年以上、揺れ続けた御父と御子の関係性を巡るキリスト論論争に終止符を打ち、三位一体を教会の公式の教えとして徹底して言い表すに至ったものとして記憶されます。この信条の採択に当たっては、ニケアで活躍した司教アタナシオスの影響のほか、エルサレムのキュリロス、またカパドキアの三教父と呼ばれる歴史に名を残す古代教父たちの働きがありました。

踏み込んで詳しく紹介することはできませんが、二、三点、その内容的特徴に触れます。この信条では、原ニケア信条を引き継いで、御子が、御父と「同一本質」の神であられることが再度言い表されています。さらに処女マリアを通しての受肉や、ピラトの下での受難など、使徒信条のように、御子の出来事が歴史の中の出来事であることが、強調されています。特に、際立った点として、原ニケア信条が少し触れるだけで、ほとんど展開しなかった聖霊告白が、この信条ではしっかり付け足されたということを指摘しておきます。「聖霊は、主にして生命を与える者、父(と子と)から出で、父と子と共に礼拝され、崇められ、また預言者を通して語りたまえり」と。これによって、御父、御子、聖霊は、教会によって三者共に礼拝される三位一体の神として信じられているお方であることが、教会の公式見解として明確にされました。またこの信条では、原ニケアの呪詛の言葉が取り去られることにより、賛美頌栄としての特徴が明確になり、礼拝で告白されるに、ふさわしい言葉として整ったと言えるでしょう。

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