まことの王はどこに

9月8日(日)主日礼拝  サムエル記上8章1節~9節 マタイによる福音書27章32節~44節  松原 望 牧師

聖書

サムエル記上819

1 サムエルは年老い、イスラエルのために裁きを行う者として息子たちを任命した。2 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤといい、この二人はベエル・シェバで裁きを行った。3 しかし、この息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた。4 イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、5 彼に申し入れた。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」6 裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。7 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。8 彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。9 今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」

 

マタイによる福音書273244

32 兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33 そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34 苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。35 彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36 そこに座って見張りをしていた。37 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38 折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。39 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40 言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」41 同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。42 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。43 神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」44 一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

「 説教 」

 先週の礼拝(ヨシュア記1:1~9)では、モーセの従者であったヨシュアが、神からモーセの後継者としてイスラエルの民の指導者に任命された場面を見ました。

 旧約聖書のヨシュア記は、モーセの後継者となったヨシュアがイスラエルの民を率いて現在パレスチナと呼ばれているカナンの地に入り、領土を次々と獲得していく様子を記しています。いわゆる侵略です。

 カナンは、かつてイスラエルの民の先祖であるアブラハムに与えると、神から約束された土地です。数百年の後、エジプトを脱出したイスラエルの民が神に導かれてその土地を得ることになりました。

 神がアブラハムに土地を与えると約束したのは、アブラハムとその子孫に所有させることだけが目的ではありません。すべての人々を祝福する計画を、その地から始めるという目的もあったのです。

 さて、カナンに入る前に、神はイスラエルの民に警告をしています。

 第一に、カナンの地を得ることは、神の恵みであって、自分たちの力だと思ってはならないということ。(申命記8章11節以下)

 第二に、その地に住んでいた人々が追い出されるのは、彼らの神に対する罪があまりにも大きいので、神ご自身が彼らを追い出すということ。(申命記9章4~5節)

 第三に、イスラエルの民が主なる神を忘れ、他の神々に仕え従うならば、イスラエルの民も必ず滅びるということでした。(申命記8章19~20節)

 このような警告を受けて、イスラエルの民はカナンの地に入っていったのです。先に結論を言ってしまいますが、この神の警告に聞き従うことがなかったイスラエルの民は、やがてこのカナンの地から追い出され、バビロン捕囚という悲劇にあうことになりました。ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記は、この神の警告に従わなかったイスラエルの民は、その警告通り、このカナンの地から追い出されてしまったと記しているのです。このヨシュア記から列王記までが申命記的歴史と呼ばれることがありますが、申命記で警告されていたにもかかわらず、国を滅ぼしてしまったという歴史を記していることから、そのように呼ばれています。

 こういう歴史が描かれていることを念頭において、今日の聖書の言葉を聞いていただきたいと思います。

1、ヨシュアの時代から士師の時代へ

 ヨシュア記では、イスラエルの民がカナンの地を支配するようになった経緯が記されています。

 イスラエルの民は12の部族からなっていましたが、それぞれの部族に土地が分配されました。ヨシュア以降、イスラエル全体を支配する指導者はありませんでした。各部族がそれぞれ自分の土地を守り生活していましたが、部族同士では、緩やかな関係を保っていました。この時代のことを「部族連合」と呼びます。

 支配者ではありませんでしたが、各部族で問題が生じた時、その解決にあたる人が神から任命され「士師」と呼ばれました。「さばきづかさ」とも呼ばれます。こちらの方が、士師の本来の使命をよく表していると思います。士師は、問題が生じた時にその解決をすることが元々の使命でした。士師記には、名前しか出てこない人物が何人か出てきますが、彼らは本来の士師の務めを果たしていたのだろうと思われます。

 また、士師記にはギデオンやサムソンといった有名な士師が6人登場し、こちらの方に目が行きやすいかと思います。

2、士師記の時代

 士師記にはギデオンやサムソンと言った英雄とも言える人々が登場します。その活躍は冒険小説のような面白さがあります。

 彼らの英雄的な働きは確かに重要なのですが、士師記はそれに特別の意味を持たせていることに注目すべきでしょう。それは、最初にも言いました申命記における神の警告という意味です。

 士師記2章にヨシュアの最後のことが記されています。

 「その世代(ヨシュアの世代)が皆絶えて先祖のもとに集められると、その後に、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えたので、主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた。主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかった。主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。」(士師記2章10~19節)

 これと同様のことが繰り返されたと、士師記は告げているのです。

 実際、士師記の前半は

1、イスラエルの民は神に背いた。

2、神は周辺の民族を用い、イスラエルの民を苦しめた。

3、イスラエルの民は悔い改め、神に呼ばわった。

4、神は士師を立て、敵を追い払った。

 5、国は長年平和であった。

という構造を繰り返して話を進めていきます。ギデオンやサムソンの物語は比較的長い物語ですが、要所要所で、これらの言葉が出てきます。

 人々の神に背く姿、その人々に対する神の罰、悔い改めたイスラエルの民が神に呼ばわると、神が彼らを助けるという構図が繰り返され、これが、士師記が記された目的の一つであることを示しています。

 

3、士師は王ではない

 士師記に登場する英雄的な士師たちは、王ではありません。王になろうともしませんでした。例外的に、ギデオンという士師の息子の一人が自分の兄弟たちを殺して王になりましたが、神の裁きを受けています。

 このように、士師は王ではありません。

 士師が神から霊を受けて特別の働きをしました。その神からの霊は、その人自身に与えられ、家族の誰かに受け継がせることはできません。そのため、後の王たちのような世襲制にはなりませんでした。

4、「そのころ、イスラエルには王がいなかった」

 士師記の後半では「そのころ、イスラエルに王がいなかった」(17:6、18:1、19:1、21:25)という言葉が繰り返されています。特に士師記の最後21章25節は「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。」と士師記を締めくくり、サムエル記上へと物語が進んでいきます。

5、サムエルの時代  民が王を立てることを要求する

 サムエル記上は、その書名にあるサムエルという人物が登場します。

 サムエルは幼い時、訳あってエリという神殿で神に仕えている祭司のもとで生活していました。

 エリは立派な祭司でしたが、息子たちは父親と同じく祭司でしたが、神へのささげものを横取りするような人物で、聖書は「ならず者」と呼んでいます。

 そのような状況の中、幼いサムエルに神がエリの息子たちへの裁きを語ります。その言葉通り、祭司エリの息子たちはペリシテ人との戦いで戦死し、祭司エリもその報告を受け、死んでしまいます。

 サムエルは大人になり、祭司として働き、人々から士師とか預言者として見られ、尊敬を集めていました。しかし、やがてサムエルが年老いて、息子たちが「裁きを行う者」、士師になりましたが、エリの息子たちと同じように、ならず者のようにふるまっていました。

 失望した人々は、サムエルに王を立てるようにと訴えます。しかし、サムエルは反対します。自分の息子たちのことを思ってのことではありません。神こそまことの王であり、だれか人間を王にすることは、神に対する重大な罪だと考えた(サムエル記上8章6節)からです。

6、イスラエルの民は何故王を求めたのか

 この当時、イスラエルの民が直面していたのはペリシテ人でした。パレスチナという言葉は、「ペリシテ人の地」という意味です。

 ペリシテ人は、当時最強の軍隊を持っていたエジプトと対等に戦うことができるほど強力でした。彼らは常に軍隊を組織することができ、鉄の武器を持っていました。地中海沿岸などの平野での戦いでは、統率の取れた組織的な戦い方をしていたことも彼らの強みでした。

 それに比べると、イスラエルの兵士たちは、戦いが始まる時に集められる寄せ集めの集団でした。また、武器は鉄ではなく青銅で作られた物とか、あるいは農機具などを武器の代わりにしていました。そして人々は統率されておらず、組織的な戦いをすることも出来ず、ゲリラのように戦うしかできなかったのです。

 これほどの大きな違いがあるわけですから、イスラエルの人々がペリシテ軍に勝てるはずもなかったのです。そこで、人々は、臨時に招集された寄せ集めの軍隊ではなく、訓練を受けた軍隊が必要であり、それを指揮する有能な王が必要だと考えたのです。

7、神こそまことの王

 イスラエルの民の「王をたてよ」との要求を不快に思ったサムエルでしたが、神に祈り、伺いを立てます。

 驚いたことに、神は民の要求を受け入れよと、答えたのです。

 「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。」(サムエル記上8:7~9)

 ただし、サムエルには王を立てることがかえって人々を苦しめる結果にもなると警告せよと命じました。それでも人々は王を要求したので、王を立てることになりました。そして選ばれたのがサウルという人物でした。このサウルについては、別の機会に話をすることにします。

8、主イエスは王である

 自分たちの罪のゆえに神の裁きを受けているイスラエルの民は、武器がない、軍隊がない、王がいないから周辺の敵を防ぐことができないと思い、目先の解決として王を求めたのです。神が王であるということは、神の民イスラエルの大切な信仰のはずでした。しかし、彼らは目先の解決を求めたのです。

 それでも神は彼らの要求を受け入れ、王を立てることにしました。しかし、それは、神がイスラエルの民の王をやめることではありません。神は全地の支配者であり続け、イスラエルの民の王であり続けるのです。そして、ずっと後の時代、新約聖書の時代になって、王の権威をご自分の独り子イエス・キリストに委ねられたのです。

9、「ユダヤ人の王イエス」 マタイ福音書の証言

 主イエス・キリストが王であることは、私たちの大切な信仰です。それでは、主イエスはどのような王なのでしょうか。旧約聖書は、人間の王を立てることは、かえって人々が王に苦しめられると警告しています。ですから、私たちが「主イエスは私たちの王である」と信じるのであれば、主イエスがどのような王であるかを知ることは、とても重要なことです。

 マタイ福音書2章1節以下に、東から占星術の学者たちが来て「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と当時のユダヤの王、ヘロデに質問したとあります。

 これを聞いたヘロデ王は、ひそかに生まれたばかり子を殺そうと企てました。

 マタイ福音書がこの出来事を記しているのは、過去に実際あった話をそのまま記しているというだけではありません。「まことの王はどこにおられるのか」とこの福音書を読む私たちにも問うているのです。そして、福音書の最後において、十字架にかかられた主イエスを指し示し、ここにまことの王がおられると宣言しているのです。

 主イエスが十字架にかけられた時、その十字架の上に「ユダヤ人の王イエス」という罪状書きが掲げられていました。これを書いたのは、ローマ帝国から派遣されていたユダヤ総督ピラトでしたが、彼が本気でそう思っていたのではなく、単にユダヤ人への嫌がらせで書いたにすぎません。しかし、主イエスを信じる人々は、その言葉がユダヤ総督の悪ふざけであったとしても、主イエスが私たちの王であることは真実であるとして、この出来事を大切にしてきました。特にマタイは、福音書の最初と最後に「ユダヤ人の王」という言葉を配置することによって、主イエス・キリストこそまことの王であると主張し、まことの王とは、罪ある私たちを救うために十字架にかかり、罪を贖ってくださった主イエス・キリスト以外にあり得ないと訴えているのです。

 ヘロデのように、自分の地位を守るために多くの人々を殺すのがまことの王なのでしょうか。

そうではありません。むしろ、全ての人々を救うために自分の命を贖いとして神に献げてくださる方、神の独り子イエス・キリストを、神は、私たちのまことの王としてくださったのです。

 

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