2021年最後の主の日の礼拝となりました。昨年に引き続き、さまざまな制限が強いられる一年となりました。現在、比較的落ち着いているコロナ感染症ですが、また、少し雲行きが怪しくなって来ています。ため息が出ます。
しかし、イブ礼拝でもご紹介しましたが、カトリック教会のフランシスコ教皇は、コロナによって、一時的にでも私たちは、世界の全ての人と同じ一つの船に乗っているのだということを思い出させられたと言います。そして、「一人で救われるのではなく、ともに救われる道しかない」と語りました。これは私たち教会こそ、目覚めなければならないメッセージであるかもしれません。
私は、これまで教会をノアの方舟にたとえることに躊躇を覚えてきましたが、教皇の言葉に新しいインスピレーションを与えられた思いがします。確かに私たちは、一つ船の中に入れられている。決して船の外ではない。しかし、その中で、私たち教会は、滅びから救われる少数の選ばれた人間に当て嵌まるのではなく、むしろ、オリーブの若枝をくわえた鳩のようなものではないか?と。滅びの大水が、世界中を覆っているように見えても、そこに、新しい命を宿した枝のあることを、先立って見出し、それを告げる鳩です。
滅びではなく、命こそが、私たちとこの世界に対する神の御心であると告げる命の先ぶれとしての鳩。更に進めるならば、私たちの救いを示すこのオリーブの枝は、主の十字架であると、黙想は深まっていきます。全ての人を巻き込むコロナ感染症の大水の中にあっても、この十字架を見れば、この世界に対する神の御心は、滅びではなく、命であることがよくわかるのです。その鳩の群れの中に、本日、新しい仲間が加えられます。心強いことです。2021年に既に加えられた3人の方々と共に、心から歓迎したいと思います。
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