牧師室だよりNo.34 2020.4.26

 

 一昨年に私たちの教会の礼拝説教をしてくださった市川和恵先生から、個人的に以下のようなメールをいただき励まされました。

3月の受難週にしたメッセージの一部だそうですが、ぜひ、ご紹介したいと思いました。

「東日本大震災の時、神様がおられるのに何故こんなことがおきるのか?何故?と何度も問うていました。そこで大きな聖書の事実に目覚めさせて頂きました。

今この時は、『土曜日のキリスト』の時代だと言われる方の言葉に出会ったのです。

金曜日、今日です。

イエス様は何の罪もないのに十字架にかけられ死なれました。三日目の日曜日の朝、甦られました。それを復活祭(イースター)として祝ってきました。

しかし、二日目の土曜日については殆どの説教者は語ってきませんでした。私もです。しかし、今が『土曜日のキリスト』の時だ、『土曜日のキリスト』の時を生きているのだ、と言われ、うなりました。

ホルバインの『墓に横たわるキリスト』の絵を見た時、死んだ屍のまさに姿でした。しかし、そこに希望を見いだしています。十字架で苦しまれるキリストの姿は、見るに耐えない悲惨な姿です。墓に横たわる屍となっているキリストの姿も希望のかけらも見いだせない絶望の姿です。

しかし、ここに希望が見えるのです。その墓からキリストは甦えられたからです。打たれた釘のあとを持ったまま、さされた槍のあとを持ったままのお姿で甦られたのです。

私たちの今も何がなんだかわからない不安の中にあります。しかし、今も、あの東日本大震災と同様に何故?と問う時、今が『土曜日のキリスト』の時なのだ、との答えが返ってきます。復活の時が与えられる前日、それは絶望に見える時ですが、待ちたいと思います。希望を持って。」

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