本当の故郷の言葉

聖書 使徒言行録2:1~13

 約束の聖霊に満たされた使徒たちが、エルサレムに集まっていた様々な地域の出身の人々の生まれ故郷の言葉を語り始めたという最初の聖霊降臨日の出来事は、私たちを驚かせるものであると思います。その人々の出身地として、エジプトからローマまで15の地域の名前が挙がっています。
 この人びとの出身地は、エルサレムの都を含んだユダヤを中心とした時、東方、北西、南西と丸く囲む諸地域であり、さらに離れたローマの名が挙げられることによって、当時の人々に知られていた世界全体を含んだ地域であると言えます。5節を見ると、「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た」とありますから、多くは、遠く離れた地域に生まれながら、今は、エルサレムに住んでいる離散していたユダヤ人が多かったのでしょう。
 けれども、11節に、「ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいる」という記述と、今朝読んだ聖書のすぐ後の14節「ユダヤの方々、またエルサレムに住む全ての人たち」というペトロの説教冒頭の呼びかけの言葉から、異邦人も含まれていたことが、想像されます。これらの人々は、五旬祭と呼ばれる旧約聖書に定められた収穫の祭りを祝うために、過ぎ越しの祭りに引き続いてエルサレムに集まってきた人々であり、だから、主なる神を拝むために神殿の街に集まって来ていた多くの信仰者たちと、もしかしたら、その祭りを見物に来たいくらかの観光客も混じっていたかもしれません。
 その各地域からやってきた国籍も、言葉も違う人々が、約束の聖霊に満たされた使徒たちの口から語られる言葉に驚きました。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」最初のペンテコステの日、弟子たちに約束の聖霊が降った時、一同は聖霊に満たされて、霊が語らせるままに、他の国の言葉で話し出したというのです。
 この聖霊降臨日の出来事は、まさに奇跡的な出来事であり、初代のキリスト者だけが経験した稀な出来事であると読むこともできると思います。もしかしたら、ここにいる学生さんは特にこの出来事をうらやましく聞いてくださると思います。聖霊に満たされると、外国語が喋れるようになる。「英語のテスト勉強しなくて良いなあ。」
 しかし、現代では、教会に来て聖霊の注ぎを頂くと、突然、英語や中国語が喋れるようになるという話はないのです。その証拠は何よりも、牧師である私が、この説教を金沢弁ですら語ることはできていないということで十分だと思います。あと何年かすれば、娘たちはきっと、金沢弁で皆さんとイエス様の話をしだすに違いありません。けれども、大人は何年経っても、そうはいかないと思います。だからと言って、「大澤牧師は聖霊に満たされておらんから、いつまでたっても金沢弁が喋れん」ということは誰も考えないと思います。しかし、この最初のペンテコステの出来事は、私たちも少し見方を変えてみれば、実際に同じことを日々、経験しているとも思うのです。
 最近、教会員の方からも、求道者の方からも同じこんな話を聞きました。「自分の生まれた家は、もともと仏教だけど、お経は何を言っているのかさっぱりわからない。それに比べて、聖書は何が書いてあるか、読んで理解できる日本語になっている。だから、教会の信仰は良い」とそう仰いました。なるほど、その通りだと思います。実は教会も500年前までは、誰でも読んでわかる母国語に翻訳された聖書を持っていませんでした。教会の正式な聖書は、ラテン語訳のみ、礼拝の賛美、司式の言葉も同じくラテン語でした。それを改革者ルターが、聖書を母国語に翻訳し、礼拝も母国語の礼拝に変えたのです。それ以来、私たちプロテスタント教会の聖書と礼拝は、自分たちの母国の言葉で読まれ、捧げられるようになりました。それはキリスト教会の良さと言えると思います。ドイツでは、ルター訳の聖書が、ドイツ語を作ったとさえ言われています。
 ところが、仏教や神道よりも、ずっとわかりやすい日本語で翻訳された聖典を読み、現代の日本語で礼拝を捧げる私たち教会であるにもかかわらず、私たちは世の人々から、教会は、なお、外国の宗教だと思われていると感じることがしばしばあります。聖書の信仰は、アメリカの信仰であり、ヨーロッパの信仰であり、また、もう少しよく知っている人であれば、中東の信仰ではないかと見做すのです。
 教会では、どの日本の伝統的宗教よりも、私たちに分かる日本語が使われているのに教会の信仰はやはり、日本に住む者には異質な外国の信仰であると考えられているのではないかと思うのです。私たち教会の言葉は、生まれ故郷の言葉でありながら、外国語を話されているように、受け取られてしまう。日本語で語られながらも、それは外国の言葉、外国の論理、母国語になり切ることのない外国語の翻訳だというわけです。
 だから、欧米人ではないのに、キリスト者になること、日本人、アジア人でありながら、キリスト者となることは、もしかしたら、多くの日本人にとっては、「あの人たちは、まるで酒に酔っている者のように、不自然な宗教にかぶれている」と思われることもあり得ると思います。ある意味、それはペンテコステの出来事の逆のことが起きていると言えるかもしれません。生まれ故郷を同じくする者に語っているのに、通じないということが起こっている。
 けれども、こうも言えます。全ての人にとって事情はその通りではありませんでした。日本語に訳されても、異質な外国の言葉に聞こえるその聖書の言葉、キリストの福音の言葉を、私たちは故郷の言葉として聞いたから、キリスト者となり、ここに教会が立っているのです。
 そう考えますと、ペンテコステの出来事は、特別な出来事でありながら、遠い出来事ではありません。聖霊の語らせる言葉、イエス・キリストの出来事を語る言葉が、ある人には故郷の言葉として聴かれるということ、それは、一人の人が信仰を与えられる時にいつでも起きることです。そしてまさに、ここにある教会である私たちは、この聖霊が使徒たちに語らせた言葉を、キリストの出来事を、私たちの本当の姿を語る言葉として、すなわち本当の故郷の言葉として聴かせていただいた者たちなのです。
 だから、私たちは、日本に住む歴史の浅いキリスト者だと言って、少しも引け目を感じる必要はありません。130年の歴史と言えども、和菓子屋さん一つの歴史の長さに敵わないから、我々の信仰はなかなか身に沿うたものにならない、日本に住むキリスト者は、いまだに、キリスト者でありながらも、どこか日本教徒であるなどと思ったり考えたりする必要はありません。信仰を与えられた者は、福音の言葉を聞いて、それを故郷の言葉として聞かせていただいた者、国籍を天に移した者なのです。
 私がとても興味深いと思うことは、9節以下に記された様々な地域出身の人々、そして自分の母国語で語られることに驚いた人々の多くは、おそらく諸地域に散らされていたユダヤ人であったという示唆です。もちろん、そこには、クレタ人、アラビア人という生粋の外国人もいたことが示唆されています。けれども、おそらく多くは、外国出身のヘブライ語、アラム語を母国語としない離散のユダヤ人たちでした。同じユダヤ人である主イエスの弟子たちが語る言葉は、彼らにとっては、なじみのある言葉だと考えるかもしれません。けれども、主イエスの弟子たちの語る言葉は、同じユダヤ人でありながら自分たちには、親しくないガリラヤの言葉であるという前提があるからこそ、彼らの口から故郷の言葉が響いてくるのを驚いたのです。その彼らが使徒たちの口から母国語が聞かれるのを非常に驚いたということは、主なる神を信じているユダヤ人にとっても、福音の言葉は外国語として響くという前提を語っているのだと思います。
 このことは、そもそも、生まれながらの人間にとって、福音の言葉は、身に沿わない異質な出来事を語る異質な言葉であることを意味しているということが考えられると思います。人間にとって福音が異質なものであるということは、私たちよりもずっと、主イエスと同じ文化と伝統の中に生きていた外国出身のユダヤ人にも当てはまるということに留まることはありませんでした。福音書を紐解けば、まさに主イエスと血筋を同じにし、同じ言葉を話す、ガリラヤの人々、ナザレの人々、それどころか、主イエスの家族にとってさえ、主イエスの出来事は異質な出来事でありました。
 かつて主イエスが、生まれ故郷で伝道した時、それを聞いた人々は、憤慨し、総立ちになって、主イエスを町の外へ追い出し、崖まで連れて行き、突き落そうとしたとルカによる福音書は伝えています。また、マルコ3:21によると、「あの男は気が変になっている」という町の人々の言葉を聞いて、主イエスの身内の者は、主を取り押さえに行ったとあります。つまり、主イエスの出来事、福音の言葉は、日本人であろうが、欧米人であろうが、ユダヤ人であろうが、ガリラヤ人であろうが、そもそも、全ての人間にとって異質な言葉であるのです。
 そこで、次のことを考えて見たいと思います。それでは、私たち生まれながらの人間にとっての故郷の言葉とはどんな言葉なのでしょうか?故郷の言葉を、今まで考えてきたことと合わせて言い換えるならば、私たちの存在に根差す言葉、その深みから響いてくる私たちすべての人間を包んでいる言葉、誰もがそれは自分のことだと納得する言葉、私たちには、少しも異質なところがない、私たちの存在と一つとなってしまっているような言葉です。
 そして、それは意外であるかもしれませんが、滅びの言葉ではないかと私は思うのです。命の終わり、死のことです。人間にとって、真実の言葉、その存在と一つとなっているような言葉は、「私たちはやがて死ぬ」ということではないかと思うのです。どの国のどの時代の人間も、逃れることのできない人間の真実、どの言語で語られても、ただの翻訳の外国語としてではなく、私たちの存在の深みに達する言葉は、人間はやがて死ぬのだという言葉ではないでしょうか。
 言葉とは、ギリシア語で、ロゴスと言います。ロゴスとは単に、私たちの話す言葉ということだけを意味しません。論理とか世の理という意味を持ちます。私たちの存在の深みにまで刻まれた論理、世の理、それは、人間は、死に結び付けられた存在だということではないでしょうか。死と滅びこそが、私たち生まれながらの人間の故郷の言葉だということは、意外な響きを持つかもしれません。けれども、私たち日本の宝とも言える詩人、谷川俊太郎の詩を読んでも、同じことを感じます。だから、私は、それは、あながち間違った解釈だとは思いません。
 谷川俊太郎と言えば、先ごろ、詩人大岡信の逝去を悼んで、新聞に掲載した送る言葉が話題になりましたが、そこで、言い表されていた事柄は、実は、ずっと以前の谷川の詩集『62のソネット』という詩集の中の、「空の青さを見つめていると」という詩の中に言い表されていたことと、とても通じると思いながら私は読みました。「空の青さを見つめていると」とは、こういう詩です。

「空の青さを見つめていると/私に帰るところがあるような気がする/だが雲を通ってきた明るさは/もはや空へは帰ってゆかない//陽は絶えず豪華に捨てている/夜になっても私たちは拾うのに忙しい/人はすべていやしい生れなので/木のように豊かに休むことがない//窓があふれたものを切りとっている/私は宇宙以外の部屋を欲しない/そのため私は人と不和になる//在ることは空間や時間を傷つけることだ/そして痛みがむしろ私を責める/私が去ると私の健康が戻ってくるだろう」

 詩人は言います。「私が去ると私の健康が戻ってくるだろう。」先ごろ、大岡の死に寄せた言葉にもこうありました。「声と文字に別れを告げて/君はあっさりと意味を後にした/朝露と腐葉土と星々と月の/ヒトの言葉よりも豊かな無言…君を春の寝床に誘う者に/その名を知らずに/安んじて君を託そう」
 心に沁みる言葉です。私には、故郷の言葉に聞こえます。これらの言葉は、まさに声と文字を超えて世の理にまで至るような故郷の言葉として、私に語りかけてきます。「私たちはやがて死ぬのだ。その時には、今ある騒がしさも止み、土に還るのだ。星になり、月になり、腐葉土になるのだ。それが人間存在だ。それが、最も確かな言葉だ。」
 ここには、死を前にした安んじる気持ちがあるように思います。この死を前にした安んじる思いというのは、私は嘘ではないと思います。よくわかる気さえ致します。「私たちはやがて死ぬのだ。土に還るのだ。」これは、覆しがたく自分の存在と一つとなってしまっている言葉、つまり、故郷の言葉だと感じます。
 ある説教者は語りました。ペンテコステに起きた出来事を、私たちが正しく理解しようとするならば、私たちがふつう霊的な体験と聞いて、思い浮かべる事によって把握しようとすることはふさわしくないと。一同に聖霊が降り、聖霊に突き動かされるというのは、たとえば、ある人に霊感が働き、勘が冴えわたり、あるいは愛が溢れ出してきて、良いことや、奇跡的なことを行うことができる、そんな風に理解すべきではないというようなことを言います。
 そうではなくて、人間に聖霊が降り、人間が聖霊に捕らえられることが、何に似ているかと言えば、私たちの誰もが、「生の苦しみ」に捕らえられているということ、あるいは、「自分が死ななければならないということを考慮した方がいい」とさえ勧めます。ペンテコステに起きた出来事は、私たちの誰もが死ななければならない存在であるということ、死の力に捕らえられているということにとてもよく似ていると言うのです。
 これは一体何を言っているのか?あまりに思いがけないたとえなので、面食らってしまうかもしれません。けれども、言おうとしていることは、決して難しくはありません。
 ペンテコステの出来事は、2:2に、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響き渡った。」と語られ、また、6節に「この物音に大勢の人が集まって来た」とあるように、まるで、逃れられない自然現象のような出来事なのだということです。聖霊が降り、人が聖霊に捕らえられるということは、私たち人間の生きる苦しみのように、私たち人間の死の運命のように逃れられないのです。だから、ペンテコステの出来事は、私たちにとって逃れがたい生の苦しみや、死に似ているというのです。
 しかし、そこで人間に立ち向かい、捕え込んでしまうペンテコステの出来事は、聖霊の出来事です。逃れられない仕方で訪れる聖霊は、もちろん、苦しみと死をもたらすのではなく、それを打ち破る復活のキリストが約束してくださった助け主、聖霊として来られます。つまり、聖霊がやって来た時、逃れられない仕方で、弟子たちに信仰が、それだからキリストの命がもたらされたということなのです。
 今までは、逃れられない死こそが故郷の言葉であった人間の元に、聖霊が逃れられない仕方でやって来られたのです。苦しみと死だけでなく、聖霊からも人間は逃れられなくなってしまったのです。しかも、その聖霊は、苦しみと死と共に、人間を共同統治することはなかったのです。聖霊は来られ、福音の言葉を人間の魂に叩き込みました。異質であったその言葉を私たちの故郷の言葉にしてしまいました。その福音の言葉とは、他でもありません。ペトロが、2:24で語る言葉、「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました」ということ、また、2:36「だから、イスラエルの全家ははっきり知らなければなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」、さらに39「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」という福音、すなわち、死ではなく、キリストの命が、聖霊によって私たちの存在と一つとなってしまうという福音です。
 私が神学生だった頃、一緒に教会学校の教師をしていた青年が子どもたちに語った説教の言葉が、この使徒言行録の聖霊降臨の出来事を読むたびに思い起こされます。主イエスの弟子たちに降った「火のような舌」、それは、私たちがふつう思い浮かべるように「舌のような火」ではなく、「火のような舌」、ベロなんだと彼は言いました。神さまの舌が、弟子たちの上に留まった。火のようにチロチロチロチロとその舌が動いている。それはまるで、母猫が子猫を舐めるような姿ではないか?逃れがたい暴風のような神の霊が、まるで母猫が子猫を舐めるように、弟子たちの上に臨みました。捨てられた子猫のように死に急いでいた私たち人間のもとに、神の霊がやって来て、私たちをキリストの死と復活に結び付け、聖霊ご自身が私たちの内に宿り、それ以来、私たちを神の子、神の家族にしてしまったのです。
 私たち人間は神のものです。キリストが命を支払って神のものにしてくださったのです。聖霊が、この福音の言葉を、私たちに信じさせてくださったのです。そして、私たちだけではありません。弟子たちに聖霊が降り、弟子たちが聖霊に捕らえられ、神の教会とされたとき、その教会が語った言葉は、天下のあらゆる国から帰ってきた人々に生まれ故郷の言葉で語られる神の偉大な業と聞こえたのです。つまり、その時、その人々にも、神の霊に捕らえられるということが起きていたのです。彼らも、キリストの出来事が、故郷の言葉として聞かれ、だから、弟子たちと一つの神の家族とされたのです。弟子たちの口を通して、語られる福音と共に、聖霊がユダヤ人にも、異邦人にも降ってくださったのです。
 13節には、この現場に遭遇しながら、「あの人たちは、新しいぶどう酒に寄っているのだ」と評価する人もいたと言います。弟子たちは、この評価を聞き、恐れて口を噤むことがありませんでした。
 しかも、私は、今日の説教準備をしていて初めて気がつきました。14節以降で、改めてペトロが立ち上がり、声を張り上げ、福音を語りかけた相手は、実に、2:15に「あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません」と、聖霊に満たされて福音を語る弟子たちの言葉を、故郷の言葉として当初は聞くことができなかった人々、つまり、教会の言葉に「あれは酒に酔っているのだ」と批判的な人々に対してであったということです。けれども、2:41には、「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」とあるように、その彼らにも、福音の言葉は、故郷の言葉として聞かれたのです。ただ、聖霊によって、福音の言葉を故郷の言葉として聞かせていただいた私たちが、語りだす福音の言葉、それはどんなに不器用な言葉であっても、次なる聖霊の御業のために、人に命をもたらす伝道のために必ず用いられるのです。
 先々週の火曜日、この元町教会の集会室で、北陸連合長老会の牧師会が開かれました。ある先輩牧師が、こんな話を教えてくれました。日本でのプロテスタント伝道は、北陸もそうだけれども、どの地域も、海外からやって来た宣教師たちの働きによるものが大きかった。その中にヘール兄弟がいた。彼らは、わらじ伝道と言って、和歌山、三重、奈良などをわらじを履いて伝道した。
 そのヘール宣教師の日本語はあまり上手ではなかった。どうしても発音が上達せず、「神は人を愛した」と言えず、「カメは人を愛した。」と言って伝道したそうです。私は、別の時にも別の人から聞いたことがあります。宣教師たちは、「自分のようにニンジンを愛しなさい。」とも言って伝道したんだと。けれども、その言葉が通じました。その言葉を命の言葉として聞く者が生まれました。本当の故郷の言葉として日本人の心にも響きました。それが、聖霊が私たちに降るということであり、聖霊が私たちを用いてくださるということだと思います。

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