平和を実現する人々は、幸いである!

  今日この召天者記念礼拝の時、私たちに与えられました聖書のお言葉は、「平和を実現する人々は幸いである、その人は神の子と呼ばれる。」との主イエスのお言葉です。平和を実現する人、平和を作り出す人を、あなたは幸せであると祝福する主イエスのお言葉です。  

 私は、逝去者名簿に名を連ねるどのお一人のことも個人的には存じ上げません。けれども、少なくとも、私の祖父母の世代、また、その上の世代の方々が多いということを考えるだけで、その方々が、キリスト者としてどのような思いで、今日与えられましたこの聖書の言葉をお読みになっただろうかと想像すると深い思いにならざるを得ません。 

 この逝去者名簿に名を連ねる多くの人は、この主イエスのお言葉を、決して、簡単に読み飛ばすことはできなかったのではないか。ある人は、はっきりとした痛みをもって、読まなければならなかった、そういう世代ではないかと思います。 

 今は、全く想像のできないことですが、日本にある教会は、戦時中、この日曜の礼拝式の中で、宮城遥拝というものをしなければならない時期がありました。この教会の記録によると、礼拝の初めに出席者の全員が起立して、姿勢を正し、皇居に向かって頭を下げてから、その方向を拝んでから礼拝が始まったと残されています。元町教会も同様ですが、前奏の前に、この宮城遥拝というものがあったことは、小さな抵抗、神さまへの小さな言い訳であったかもしれません。けれども、式次第の中にはっきりと、天皇への儀礼が位置を持ったのです。讃美歌にも、「君が代」が付されたものがありました。多くのキリスト者が戦争に真っ向から反対することができませんでした。特高の監視付きの礼拝を捧げながら、礼拝冒頭でまず、皇居を拝むことによって、讃美歌に君が代を付すことによって、そのような形で、ほとんどすべての者が戦争に協力してしまいました。この名簿に名を連ねる方々は、そのような自分であったことを後ろめたい思いで、思い起こさざるを得なかった方々ではないかと思うのです

。 結婚する前に、亡くなっていたので、私は、一度も会ったことがありませんが、そのような時代を生きなければならなかった私の妻の祖父のことを考えることがあります。妻の祖父は、私たちが卒業したのと同じ神学校を卒業し、札幌北一条教会という教会の伝道師となりました。三浦綾子に洗礼を授けたことで知られてもいますが、戦時中、神社参拝への拒否を唱え、やがて、逮捕されてしまう小野村林蔵という牧師の下で、数年、教会に仕えました。

 けれども、徴兵され、戦地に送られ伝道者としての働きを離れることを余儀なくされました。とても、不本意なことでした。祖父は、人に銃口を向けることがどうしてもできず、空に向かって、鉄砲を撃っていたと聞きました。戦争に反対しながら、否応なく戦地に駆り出されていたのです。

 戦争が終わり、あの戦争は間違っていたと、誰もが言える時代が直ぐに来ました。礼拝順序から宮城遥拝は消え、讃美歌から君が代も消えてなくなりました。牧師が連行され、天皇とキリストとどちらが偉いのかなどという事情聴取をされることもなくなりました。日本国憲法が発布され、数百年間、日本になかった教会の信仰を信じる完全な信仰の自由が実現されました。教会にとって春のような時代が来ました。

 しかし、妻の祖父は伝道者に戻ることはありませんでした。戻ることは可能であったのに、はっきりと、それを拒否しました。理由は、家族の誰も知りません。妻の祖母は、戦後、伝道者に戻らないというはっきりとした決意を聞いたからこそ、安心して結婚したというほど、二度と戻らないという決意を持っていたようです。ある書籍を見て、妻の祖父が、東京の吉祥寺教会を長く牧会した竹森満佐一牧師と同級生であることを知りました。私の前任地である鎌倉雪ノ下教会の元の牧師である加藤常明先生の恩師です。 

 加藤先生が、雪ノ下にいらしたとき、私は、妻の祖父のことを話してみました。そして、なぜ、伝道者に戻ることがなかったと思うかと尋ねてみました。加藤先生は、多くは語りませんでした。「それはわかるでしょう。あの時代、牧師として戻ることはなかった人は、他にも大勢いましたよ。」とだけ言いました。 加藤先生は、当時、まだ若く、戦場に行くことはなかったけれども、その時代の空気を吸っていた人にはよくわかる思いがあるのだと思いました。鉄砲を空に向かって打っていたとしても、牧師に戻ることはできなかった。その気持ちはよくわかる。 

 前任地の教会で、二年前に教会員の戦争体験を聞き取り、一つの冊子にした方がありました。牧師にもおひとつどうぞと、よくしる教会員の戦争体験が記されたその冊子を頂きました。それを読み、驚きました。中国から引き上げる時、幼い弟を失った者、日本人狩りに会い、現地の農民から、鎌で殺されそうになった者、広島と長崎でそれぞれ原爆を経験した者、特攻隊として訓練されながらも、出撃前に終戦を迎えた者、私の良く知っている教会員、私たち若い牧師の説教に喜んで耳を傾けている教会の仲間たちが、まさにそういうところを通ってきたのだということを知りました。そして、自分はそのような所を通ってきた人だということをきちんと意識していなかったとことを思い、自分の想像力のなさを恥じる思いがいたしました。 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」

 キリスト者は、神さまのことを、父なる神様とお呼びいたします。それは、私たちが神の子であるという信仰とセットである呼びかけの言葉です。 私たちは、神を私たちの父と信じることが許されるということは、私たちが自分自身について私は神の子であると信じることが許されているということです。これは、私たちの信仰の根幹と言える部分です。 

 ところが、今日共に聞いています主イエス・キリストの御言葉を説く多くの説教者たちが、この御言葉は難しいと言います。そして、ここで言われている「平和を実現する人々」とは、平和を愛する人ではなく、「平和を作り出す人」のことだと理解せよと注意を促します。英語の聖書を読むと、peace makerとなっています。平和を愛する、争いを好まないという消極的なことではありません。平和を作り出す人のことです。だから、難しいと言います。私たちの多くの者は、そもそも争いは好みません。自分から争いに飛び込むことを望む人は多くはありません。波風が立つことを好みません。その意味で、私たちは平和を愛する者であると思います。けれども、平和を愛する私たちは、立ってしまった波風には、案外、どうしたらよいのかわからず、手をこまねいてしまうものです。むしろ、私たちが波風立つことを好まないという意味での、平和を愛する心が、時には、立ってしまった争いの波風が吹き荒れることに消極的に加担してしまうということさえ起こってしまうものだと思うのです。 

 私は、自分自身のことを、そういう者だと思います。人波に平和を愛しているかもしれないけれど、ピースメーカーだとは、言えないのではないか?妻の祖父は、あるいは、この逝去者名簿に名を連ねる私たちの先輩たちは、やはり、この言葉に対して、挫折の思いを、私たち人間の平和を作り出す者とはなれない罪を、私たちよりもはっきりと知らなければならなかった方々ではないかと思います。世代が丸ごと、時代丸ごと、戦争という経験によって、鋭く、そのような人間の罪を、人間のありさまを知らなければならなかった方々だと思うのです。

 もちろん、この罪は私たちに無関係ではないのです。ことさら、戦争を経験した者ばかりではなく、誰もが、平和を作り出すことのできない自分であると認めなければならないのではないかと思うのです。私たちもきな臭さを感じる時代のある側面に生きながら、けれども、大きな政治のうねりと無関係にも、平和を現に作り出すことのできない自分を見つめなければならない経験を重ねています。世界史を見るような大きな視点ではなく、この足元の日常を見てみるだけでよいのです。私たちの日常生活を思い浮かべてみるならば、私たちが確かに平和を作り出すどころか、平和を愛しているとも言えない、そこかしこに、平和が破れてしまった、破れたままに見える人間関係が横たわっていることを認めないわけには参りません。誰もが、心の中に、一人くらいは、赦せないこと、赦せない人がいると思います。当然、私にもいます。それは生きている人かもしれないし、もう死んでしまった人であるかもしれません。 

 教会の召天者記念礼拝というものは、そこのところ、あまり美化することはありませんで、この逝去者名簿に名を連ねた人々自身と、平和が作り出せないままであるということだって、あり得ることだと思います。身近な家族であるからこそ、本当に近くに生きる者だからこそ、平和を保つことができなかった、平和を作り出すことができないということがあります。 

 戦争を経験した者、戦地に赴かなければならなかった者だけでなく、私たち人間は、やはり、主イエスのお言葉の前に、挫折を感じざるを得ない所があるのだと思います。しかし、そうであるならば、私たちは、「神の子」と呼ばれ得る者ではないのです。私たちの信仰の最も根幹であるところの、神を父と呼び、神に子と呼ばれる、関係性は成り立たないことになってしまいはしないかと思います。なぜならば、主イエスは、「平和を実現する人々」が、「神の子と呼ばれる」と仰ったからです。 

 けれども、もちろん、私たちは、神を父と呼ぶのです。神は、この逝去者名簿に名を連ねた者と、私たちの父であられ、だから、私たちは、神の子であるという信仰は、平和を作り出せない私たちであっても、少しも揺るぎはしません。

 それというのも、神は、罪人を救うために、主イエスをこの世にお送りになられたからです。キリストは、来てくださいました。私たち平和を作り出せない、途方に暮れる外ない罪人の側に立ち、私たちと少しも変らぬ人として私たちの仲間になりきってくださり、けれども、御自身の命を注ぎだし、神と私たち罪人の間に平和を打ち立ててくださいました。

 主イエスが教えてくださった主の祈りの中に、こういう言葉があります。 

「われらに罪を犯す者を我らが赦す如く、われらの罪をも赦したまえ」。今日の聖書個所と重なる部分があるような祈りの言葉ではないかと思います。現代語に訳すと、「私たちに罪を犯した人を、私たちが赦しますから、私たちの罪を赦してください」と神さまに祈る祈りの言葉です。この祈りの言葉もまた、平和を作り出す人々の幸いと同様に、難しいとしばしば言われることのある言葉です。やられてもやり返さない、いや、もっと積極的なことです。やられても、赦すのです。この主の祈りの言葉は、平和を作り出す人々と同様に難しいことというよりも、むしろ、ここにこそ、平和を作り出す人の姿そのものがあるかもしれません。

 

 平和を愛する私たちは、私たちに罪を犯さない者とは平和に生きられるかもしれません。けれども、私たちを侮辱する者、被害を与える者、つらく厳しく接する者との間に平和を作り出すこと、だから、赦すことに、やはり、挫折してしまう者だと考えないわけにはいきません。 

 そうであるならば、罪を犯す者を赦すことのできない私たちもまた、罪人を赦す神の赦しを受け取ることはできないのではないかと意気消沈してしまうかもしれません。 

 けれども、よく注意していただきたいと思います。私たち人間の元に来てくださった神の御子がお与えくださった主の祈りの主語は、「我」、「わたし」ではなく、「我ら」、「わたしたち」です。この「我ら」とは、共に神の御前に首を垂れる人間仲間であると言えるかもしれません。誰もが、この祈りを祈らなければならない神の御前における罪ある人間だとも言えます。けれども、私は、この祈りが「主の祈り」と呼ばれるように、主イエスが私たち人間にくださった祈りであると同時に、主イエス・キリストが神の御前で私たちに代わって私たちのために祈ってくださっている祈りとして読めるものだと思っています。

 

 すなわち、イエスさまが、人を赦すことのできない私に代わって、祈ってくださるのです。イエスさまが、ご自分の祈りの主語に、その人を赦すことのできない私を引き入れて、「私たちに罪を犯す者を私たちが赦します。」と祈ってくださっている。そのイエスさまの平和を作り出す姿勢によって、私たちの罪をも赦されるということが引き起こされている。そういうことではないかと思うのです。

 

 つまり、私には人を赦せない、私は平和を作り出せないと嘆いている私たちの元に、イエス様が来られ、私たちの仲間になり、ご自分の祈りの主語に、私たちを加えてしまい、「私たちに罪を犯す者を私たちは赦す」と、私の祈りとして赦しを宣言し、神の御前に祈ってしまわれたということです。 それは、昨日、今日のことではありません。私たちがそのことに気が付くずっとずっと前に、2000年前のあの十字架で、成し遂げてしまわれました。

 

 だから、私たちは、人を赦せないとは言えません。平和を作り出せないとは言えません。イエス様が、私たちの代わりにもう赦してしまわれました。私たちの代わりに、もう、和解を作ってしまわれました。そのイエス様が作られた赦し、和解を、神は、私たちの成し遂げた赦し、私たちの作り出した和解として受け取ってくださいました。それが、キリスト者が神の子であると言われる内実であります。私たちの内実ではなく、キリストの内実が、私たちを神の子としているのです。 

 そうであるならば、今、私たちが誰かを赦すことができないと思っている思い、平和への挫折は、それが今の私たちにとってはどんなにリアリティーを持ったものだとしても、キリストが作り出してくださった新しい現実においては、影のようなものにすぎません。 

 この中で、洗礼をまだ受けていない方、また、キリスト者であったご遺族を持った方に特に覚えて頂きたいことは、キリスト者とは、神の御前に挫折を認めている者だということです。自分には平和が作り出せない、自分は和解に生きえないことを認めている者のことです。そのことを神の御前に認め、また公に認め、だからこそ、洗礼を受けます。私が是非知っていただきたいと思うことは、その方々がはっきりとそのことを口にされたことがなかったとしても、もしも、誰かと平和を生み出せなかった関係があるとすれば、それは、時代のせいでもなく、他の誰のせいでもなく、自分の罪のためだとその人の洗礼は物語っているのです。 

 神の前だけでなく、人の前でも、私たちの洗礼は、私たちの存在のすばらしさを見せつけるものではなく、だから、神の子にふさわしいと認められたから、洗礼を受けるのではなく、神の御前に何も良い物を持たない私たちの罪の告白以外のものではありません。

そこには、平和を作り出すことのできない私であることの罪が当然、含まれていました。人と平和に生きられないことは罪です。平和を作り出すことができないのは罪です。それは、人を傷つけるという意味で、人間に対する罪であり、けれども、実は、それによって、何よりも人を造られた神に対して犯す罪でありました。 

 けれども、神は罪人を捨てられませんでした。罪人をその者が支払う価なしに、神の子と呼んでくださいました。神がキリストにおいて、私たちに代わって罪の代価を支払い、私たちが受けるべき、呪いを御自分の身に引き受けてくださったと私たちは信じます。それが、この逝去者名簿に名を連ねる人々と私たち教会が信じる信仰です。 

 もう一度申しますが、私たちが、人と平和に生きることのできない人への罪が、人を造ってくださった神への罪であるならば、これはまた、逆に、神との和解は人との和解のはじまりでもあります。地上に生きる間、平和を作り出すことに挫折してしまっていたかもしれない、愛に生きることに挫折したという他ない歩みしか作り出せなかったかもしれません。その名前が、記憶が、今を生きる人の苦い思い出と結びついたままであるかもしれません。けれども、この人たちは知っていました。自分は罪人であった。人と神に対して罪を犯す者であった。それは申し訳ないことであった。しかし、このような私を神はお見捨てにならなかった。神は、残された人々をもお見捨てになることはない。神よ、どうか、私に教えてくださった、この恵みに気付かせてください。キリストの平和に、気付かせてください。この名簿に載った人々の祈りとは、この祈りに尽きるのではないかと思うのです。 

 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」

 

 私たちの元に来られ、私たちとひとつになりきり、ご自身の命を私たちの命としてくださったイエス・キリストのゆえに、この幸いは私たちのものです。キリストのゆえに、私たちは神の子です。私たちも信仰の先達と共にこの道を生きることができます。キリストが神と人との平和を作ってしまわれました。私たちの過去、現在、将来が、このキリストの赦しの内にのみ、あるのです。 

 そうであるならば、何度失敗しても、挫折しても、私たちに罪を犯す者を私たちが赦す以外のことは、残されていませんし、平和を作り出そうとする歩み以外、私たちの前にある道はないのです。 

 ひたすらに、私たちのためにキリストが既にしっかりと刻んでくださった平和を実現する歩みを、和解の歩みを、既に、私たちのものとされているその幸いな歩みを、細く、弱い私たちの歩みによる震える線であっても、今も生きて共にいて下さる神の霊に支えられながら、その上に重ねてなぞらせていただくだけです。

 

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