牧師室だよりNo.52

牧師室だより№52

3回目の家庭礼拝推奨期間を過ごしています。教会は、世の苦難からかけ離れた天上を舞う存在ではないのだと改めて思い知らされます。教会は、人となられたキリストの地上の体として、まさに世にある教会なのだと実感させられる日々です。私たちもしっかりと巻き込まれている世界の置かれた苦しい状況があります。

 

全知全能の神様を信じる私たちだからこそ、いったいこれは何を意味しているのか、どんなご計画によるものなのかと問わずにはおれません。ひたすら祈りながら問うています。当然、この苦しみに対する神さまの御旨を早急に判断することは慎まざるをえません。

 

聖書の神様は、天に座し全てを治めてくださる全能のお方です。同時に、旧約から新約に至るまで人と共に荒野をさすらってくださるお方です。このことを声を大にして語り続けることが今の教会の使命であると思います。

旧約における神の民の荒野の40年の旅、たとえそれが「うなじのこわい民」への裁きと教育の時であったとしても、その全日程に神様ご自身が共にさすらう者として同行されたことを思い起こすことは私たちの大きな慰めです。

 

インマヌエル、神は私たちと共におられます。会堂においても、家庭においても、職場においても、病室においても、施設においても、共に。しかも、その慰めの約束を必要とする私たち自身が、今や世にあるキリストの体として、キリスト現臨の器とされています。まるで裂かれたキリストの体のような今の教会です。あの聖餐のパンのように、それぞれの場に散らされているこの私たちが、苦難の世にあるキリストの現臨の徴、この世界に対する神の臨在の徴とされるのだと信じます。

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