枕するところのない救い主

 長老会だよりでもお知らせすることになりますが、今年の夏の8/20-23に掛けて、東京神学大学の神学生をこの教会でお預かりすることになりました。

 私たちの所属している北陸連合長老会が、毎年、神学生教育の一環として、夏の一か月実習生を受け入れているのですが、元町教会でも、この期間与ってほしいという依頼を受けて、先週の臨時長老会で受け入れることを決めました。

 4日間のほんの短い期間で、日曜日も含みませんから、神学生と顔を合わせることない方もたくさんいらっしゃるだろうと思いますが、祈りに覚えてくださり、その期間の祈祷会の朝晩のどちらかに、積極的にご参加いただければと思っています。

 夏季伝道実習と言えば、何度もお話ししていることですが、私にとっては、ちょうど10年前にこの金沢の地を訪れ、行ったことが思い出されます。

 その時も、一つの教会ではなく、いくつもの教会を渡り歩いたので、腰を落ち着けて、枕を定めてという実習にはなりませんでした。

 しかも、この実習期間直前に、祖父が倒れまして、後ろ髪惹かれる思いで金沢に参りましたが、その途中で、危篤となり、面会のため、そして結局は、葬儀のために、実習中、2度、金沢から離れなければなりませんでした。

 そのころは、まだ新幹線がなく、夜行バスと、在来線を使っての移動でしたので、移動時間だけでもいくつもの奉仕の予定がつぶれ、実習期間は、だいぶ短くなってしまいました。

 私は、母教会の牧師から、牧師は親の死に目に会えないことを覚悟するようにと言われていましたから、この夏季伝道実習中も、何があっても帰らないことを覚悟していました。

 けれども、その時、実習のアレンジをしてくださったのは、かつて桜木教会を牧会されていた山上先生であり、山上先生は、「それは牧師の話であってあなたは神学生だ。帰りなさい。」と言われて、申し訳ない気持ちがありましたが、面会のため、葬儀のため、帰らせてもらいました。

 その時、私の心に浮かんでいたのが、まさに、今日お読みした聖書個所だったことを思い出します。

 特に21節以下です。

 ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」

 父の葬りを終えてから、主イエスに従うという猶予は与えられないのです。主イエスというお方は、全てのエクスキューズを拒み、今ここで、私に従ってきなさいと招かれるのです。

 このような主イエスの言葉は躓きを与えるものです。けれども、主イエスというお方のこのような妥協なき断固たるお姿というのは、福音書の中で、特別に毛色の変わった記述だというわけではありません。福音書を読めば、かなり、頻繁にこういう主イエスの躓きを与えるようなお姿に出会います。

 私は最近、カトリック教会のキリスト者であり、作家であった小川国男という人の文章を読む機会がありました。その書物のタイトルは、『襲いかかる聖書』です。

 小川はその中でこういう風に言います。聖書を率直に読めば、「今までの解っていたという思い込みも、解らないことが解らなかったのに過ぎないと思えてくる」、十字架に至るまでの主イエスの歩みを、「憐み深い忍従の人」、「気高く弱々しい救世主」の姿と思い描いていたのに、率直に聖書を読んでみると、「えたいのしれない怖ろしさを感じさせる」と言いました。

 そして、そのような主の言葉の前に、私は、やはり、10年前に失格したのだと言わざるを得ないのではないかと思うのです。

 けれども、考えてみれば、この主のお言葉に、従いきれないという思い、従えていないのではないかという経験は、その一回に尽きるものではありません。ことあるごとに、自分はこのような言い訳をしてはいないだろうか?と思わされます。

 かつて、わたしを指導してくれた牧師の一人が、しみじみと、独身であった伝道師の時代が、一番、自由に仕えられたという話をしてくれたことがあります。

 だから、結婚しないという道も一つの牧師としての選択肢だと結構真剣に仰いました。

 昨日は、この場所で久しぶりの結婚式がありました。教会員も多くの方が出席され、新しい家庭を築こうとする二人を祝福しました。この日本の社会において、キリスト教式のお葬式は少ないかもしれないけれども、結婚式がキリスト教式というのは、教会外でもとても多くあります。その意味で、巷でも、教会の神は、結婚を祝福する神だと思われていることと思います。

 けれども、たとえば、使徒パウロは、ある場面では、結婚について否定的なことを語っています。「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。」

 だから、これは、命令でも、神の戒めでもないけれど、未婚の人は未婚のままで留まるのが賢明だということを言います。

 これは、もしかしたら、私以上に、みずき牧師が実感していることではないかと思います。伝道師として奈良で仕えた最初の三年間は、私と同じか、それ以上に、教会の教師としての務めを果たしていました。

 けれども、鎌倉に移った5年間の内、出産と育児を彼女が中心的に担い、主日礼拝説教をすることが、ほとんどなくなりました。神学校に入った時は、生涯独身で、一つの教会を牧会することもあり得るだろうと考えていたと言います。

 それだけに、その自分の使命を果たし得ていないのではないかという負い目は、私が想像する以上に、大きいと思います。同じスタートラインから始めたはずの私だけが、人に洗礼を授け、葬儀、結婚式を司式し、説教の経験を重ねていく。同じ使命を受けた者が、すぐ隣にいるだけに、焦りは大きいと思います。

 しかも、それは牧師だけの苦しみ、負い目ではないと思います。親の介護のこと、子育てのこと、現役の仕事のこと、配偶者が教会には通っていないということ、それらの状況の中で、自分は主に従いきれないでいるのではないかという負い目を抱えている者は少なくないと思います。

 教会の奉仕、活動に専念できない状況の中にあって、子どもが大学生になれば、礼拝に参加するようにします。定年になれば、教会の活動にもっと積極的に奉仕します。親の介護が終われば、洗礼を受けますと心に負い目を感じながら、教会のほとりで過ごしているという方もいらっしゃると思います。

 しかも、ある説教者によれば、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」という弟子の願いは、目の前にある葬儀そのものと言うよりは、「死ぬまでの面倒を見てから」という広い意味を持った言葉ではないかと言います。「主イエスよ、私には今世話をすべき父親がいます。死ぬまできちんと介護をしてあげたいのです。それが終わったらあなたに従います。」そういう意味にとった方が良いと言います。

 そして言います。「私たちにも思い当たるところがあると思う。仕事が終わったら、子育てが終わったら、あれが終わったら、これが終わったらもうちょっと真面目にあなたに従います。しかし、今は忙しいからそれどころではないのです。けれども、それはほとんど無期限の延期をしているようなものです。いやそうじゃない。今すぐ従いなさい。そう主イエスは言われるのです。けれども、それは、親の介護なんてほっとけって意味じゃない。…問題はこれが終わったらというところにあるんだ。私たちはむしろ、親の介護をしながら、親の葬りをしながら、あるいは忙しい仕事の生活に耐えながら、子育てに悩みながら、具体的な生活の中で、主イエスの背を見つめて、この方に従っていくのだ。」そう言います。

 仕事、介護、子育て、そういうものから切り離された主イエスへの服従があるのではなくて、具体的な生活の中で、主イエスを見つめて、その主イエスの背中を見つめて、このお方に従っていくんだという言葉は、本当に福音の言葉だと私は思います。

 たとえば、直前の個所の、弟子であるペトロの家での主イエスのお姿を思い起こすことができるかもしれません。

 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」と主イエスに招かれ、すぐに網を捨てて従ったという人、舟と父親とを残して主イエスに従ったという仲間の内の一人の人、ペトロは、そのように断固として主に従い、主イエスの背中を見つめながら、自分の家に、入って行かれる主イエスに従い、自分のしゅうとめを癒す主イエスの後を歩んだのです。

 私たちは、自分の生活をかなぐり捨てて、仕事や家庭を省みずに、主イエスを見つめるんじゃありません。自分の置かれているその状況下で即座に主イエスに従うように招かれています。すると、そこで見えてくるのは、私たちに先立って私の生活の中を歩んでくださる主イエスの姿なんです。

 それゆえ、主イエスにお従いすることの中から、葬りを除外することはできないのです。しかし、この弟子は、父の葬りと主イエスに従うことを別のことにしてしまっています。

 キリストを締め出し、キリストの弟子であることを括弧に入れて行う、そのような葬りは、死者が死者を葬るようなことであります。

 だから、「従いなさい」という言葉は、親の葬りにおいてこそ、脇に追いやることはできません。

 多くの人は、ここでキリストこそが命であるということを思い起こします。たとえば、この父を葬り終えるまで、従うことを待ってほしいと服従を保留した弟子への「私に従いなさい」という言葉の背後には、「自分は命なのだ」ということが立っているのだと言います。

 私たち伝道地の教会に生きる者は、親の葬儀と言っても、教会で行えることは叶わないことが多くあります。まるで、教会とは縁のない仏式で葬儀をしなければなりません。

 そこでも主として親族として責任的にふるまうならば、数珠をつけなければならないかもしれません。拝礼と言われたら頭を下げないわけにはいきません。

 いつもならば、教会で礼拝を捧げている時間に、そういう葬りに参列する自分は、主の弟子であることをいったん括弧に入れてしまっていると考えるかもしれません。これはどうしようもないエクスキューズだと負い目を感じながら、参列するということがあるかもしれません。

 その点、キリスト者が仏式の葬儀の喪主を務めたり、焼香をすることを控えるようにと指導する教会もあるほどです。

 けれども、それで、「私に従いなさい」と仰った主イエスの言葉に従ったことになるのだろうか?

 私の前任地の鎌倉雪ノ下教会では、『教会生活の手引き』という書物があります。教文館から発売されていますが、教会生活のさまざまな場面について丁寧な問いと答えの問答形式で書かれています。

 その問207とその答えにこういう記述があります。

 「愛する父が死んだとき、自分の信心、信仰に従って葬られることを望んでいるとすれば、それに従って葬ってあげることが愛のわざでしょう。ここでも逆の場面を考えてみてくださるとよいのです。私どもの誰かが死んで、キリスト者でない家族が喪主を務め、私どもの信仰を重んじないで、その人の信仰によって葬儀をしてしまうとすれば、私どもは悲しい思いをするでしょう。やはり、たとえ家族がキリスト者ではなくても、教会の流儀ですべてをして欲しいと願う。そうであるならば、異なった信仰の家族の葬儀を、その人の信仰を重んじながら、しかも、私どもの手で整えてあげることが自然です。/確かに、私どもの主イエス・キリストの父である方だけが、まことの神です。それ以外の神仏に救いはありません。しかし、そのことは、私どもキリスト者だけがまことの神を知るという理由で、他の信仰に生きる人びとを軽んじたり、その人のこころを無視してよいということにはなりません。特にここで大切なのは、そこに悲しみがあり、苦しみがあるということです。その人の傍らに立ちうるかどうか、そこでこそ私どもの信仰の姿勢が問われます。」

 私たちがキリストの弟子として、愛のわざに生きる時、私たちの責任において、仏式の葬儀を整えることもまた、主への服従でありえます。

 全ての者を愛し、その者のためにキリストが死なれ、復活してくださった者の葬りであることを弁えるならば、死者が死者を葬る葬式ではなく、まことの命であるキリストの弟子が行う愛のわざ、全く自然なキリストゆえの服従への奉仕の業でありうるのです。

 私たちの人生のどの瞬間を切り取っても、キリストのものではない時間はありません。私たちは、いつかではなく、今ここで従うことができるのです。

 主イエスは、まだ触れずにおいたもう一つのエピソードにおいて、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と仰いました。

 「どこへでも従ってまいります」という律法学者の申し出は、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」という言葉によって、受け止められました。

 このやり取りは、私たちの常識的に言えば、少々ずれているようにみえます。「どこへでも従います。」という人への答えは、「よろしい。一緒に来なさい。」という答えか、「あなたは私が行くところについてくることはできないだろう。」という二つのどちらかが、素直な答えであると思います。けれども、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子は枕する所もない。」と答えられる。意表を突く答えです。

 しかも、肯定的な反応ではなかったとまずは、受け取れると思います。すると、これは「あなたは私が行くところに着いて行くことができない」ということを、文学的な言葉で表現したんじゃないかと読めます。つまり、私の行く先は、あなたが今想像しているような素晴らしいところではないよ。狐の巣穴、鳥の巣の方がましだという生活が私の生活だよ。本当にそんな生活についてくると言うのかね?何か勘違いしていないか?という心の燃えている者に冷や水を浴びせかけるような言葉であったことになります。

 けれども、もう一つの読み方があると思います。「どこへでもついて行きます」という言葉に対し、「人の子には、枕する所もない」という答えは、「行くところなんて、どこにもない」という言葉だと受け取るのが、一番素直であるように思います。

 主イエスよ、あなたは、どこへ行かれますか?どんな素晴らしい場所へ行かれますか?どんなに厳しい、しかしやりがいのある使命を果たしに赴かれますか?私たちは、主イエスの歩まれる道というのは、私たちとは違う道であるように思いこんでいる部分があります。多くの人のようにそれは崇高で気高い道だと理解しても、あるいは、小川国男のようにえたいのしれない怖ろしい道であると理解しようと、どちらも主イエスの進まれる道は、特別な道だと思っています。

 その特別な道を自分も共有したい。ただ漫然と生きているところから、これはつらくとも意義と意味のある人生を歩みたいと願い、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」と言いたい気持ちがあります。

 けれども、同時に、私たちは、主イエスの進む道は、どんどん険しくなり、誰もついていくことができないような厳しさへと突入していくことになるという風にも理解しています。主は十字架を目指して突き進んで行かれます。その意味で、どこへでもついていくという言葉は、この律法学者のみならず、弟子の誰一人も従うことのできなかった道であると言えます。

 しかし、その一方、誰も従いきることのできない十字架に続く主イエスの道というものは、実は、どこへも行かれなかった主イエスの姿を現しているのではないかと思うのです。
 どこにも行かなかった。私たちの元から去らなかった。私たち人間のいる所に、身を置き続けた神の子の姿であったのであったとも言えます。

 もしも、主イエスというお方が、私たち人間と共にいることを望まず、ご自分のホームである天の父の右の座に座り続けることを選ばれたのならば、ご自分の安住の場所を温めておられたのならば、枕する所を失うことはなく、十字架はなかったのです。

 ここで、多くの人が思い起こすのは、クリスマスに生まれた御子は、飼い葉桶に寝かされた方だということです。宿屋には、彼らの部屋がなかったという福音書の記述です。イエス・キリストというお方は、確かに、その生涯の初めから安らかな寝床をお持ちにはならなかったということです。 

 だから、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所がない」と仰った主イエスの言葉とは、「いや、どこへも行かないよ。私は目的地にいる。あなたがいるところに、あなたたちがいるところに私は来たんだ。私が来た時、宿屋に入るところがなく、私を喜んで迎え入れてくれなかったこの場所、やがて、私を十字架に追いやるこの場所、枕を与えてくれないこの場所が私の目的地だ。」主イエスはそう仰っているのではないでしょうか。

 それは、まさに、第2の物語が問題としている、「いつ?」従うかということとも深く関連していることだと思います。この第1のエピソードは、どこで従うかが、説かれている。ここで従うのです。

 この主イエスにお従いするということは、生活とか、自分の場所を後にして、新しいところに行く、受難の道だろうが、パラダイスだろうが、こことは違うどこかへ行くことではなくて、既に、主が来てくださった、主をお迎えするにふさわしくない、私の葛藤のど真ん中、心と髪を振り乱した余裕のない私の生活のただ中で主にお従いすることでしかないと思います。

 私が、副牧師として仕えた教会で主任牧師から、叩き込まれたことの一つは、神学校に入ることが献身ではなく、伝道師・牧師になることが献身者になるということではないということです。

 私たちの人生のどの側面を切り取ってみても、主のものではない瞬間はどこにもない。教会に仕えているときだけでなく、職場にいる時も、学校にいる時も、介護をしているときも、子育てしているときも、どの瞬間もキリストのものであることに気付かせて頂いた者が、洗礼を受けるのです。そうであるならば、全てのキリスト者は、献身者以外ではありえないのです。

 この後、讃美歌443番を歌います。そこで、今日の聖書の言葉とそしてクリスマスの出来事が思い起こされながら、「御子イエスは馬小屋で産声を上げた。」「きつねには穴があり、鳥に巣はあるが、神の子の休まれる寝床は荒れ野だ」と歌われます。その御子に向かって、「おいでください、イエスよ、ここに、この胸に。」とご自分の心を差し出すとこの賛美歌は歌います。

 私は思います。差し出される私たちの胸は、馬小屋や荒れ野とは違う居心地の良い御子イエスのためのベッドなのだろうか?と。

 そうではないと思うのです。御子がご自分の住まいとして訪れてくださるこの私の胸とは、馬小屋であり、荒れ野である私たち人間の元である、それがクリスマスに始まるキリストの出来事が語ることであると思います。

 このことに気付く時、私たちには、飼い葉桶のような、荒れ野のような私たちの現状と、しかし、実は飼い葉桶であり、荒れ野に過ぎない私たち自身の心を住まいとしてくださる神の御子への感謝と、今ここで、その方にお従いすることのできる喜びが自然と溢れてくる他ないのです。

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